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「香芝市内に旧日本軍の建設した地下壕(ごう)がある」。7月上旬、とある取材先からそんな話を聞いて驚いた。壕の名前は「屯鶴峯(どんづるぼう)地下壕」といい、太平洋戦争の末期に造られたという。NPO法人「平和のための香芝戦争展」が11月上旬に壕の見学会を行うと聞き、同行させてもらった。【小宅洋介】
香芝市の近鉄大阪線・関屋駅から徒歩30分。県道を抜け、険しい山道を進むと、雑木林の中にぽっかりと空いた大きな「穴」が現れる。戦争末期、旧日本軍が本土決戦に備えて建設を始めた「屯鶴峯地下壕」の入り口だ。NPOによると、旧陸軍・航空総軍の戦闘司令所として、1945年6月ごろから建設が始められた。朝鮮人兵士を含む約300人が動員され、終戦の日の8月15日まで工事が進められたという。
東壕と西壕に分かれており、二つを合わせた全長は計約2キロ。高さ約3メートルのアーチ型トンネルが、梯子(はしご)状に掘られている。内部はひんやりとしていて涼しいが、数カ所にある入り口以外に光源はなく、ライトを使わなければ真っ暗闇だ。所々に打ち付けられているさびたくぎや、ツルハシできれいに整えられた壁面が、過去に人の手が加えられていた場所であることを無言で語っていた。
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