作家・三島由紀夫と彼が率いた「楯(たて)の会」学生長、森田必勝(まさかつ)が陸上自衛隊市ケ谷駐屯地で憲法改正のための決起を呼びかけ、「割腹自決」をして11月25日で半世紀を迎えた。追悼集会は毎年開かれているけれど、近年は若い人の姿が増えているらしい。なぜなのか? 必ずしも三島の考えには賛同しない記者が集会を見に行った。【吉井理記/統合デジタル取材センター】
冷たい雨の夜である。
記者がまずやってきたのは、2人の命日である11月25日の前日、24日に東京・池袋で開かれた追悼集会である。題して「三島、森田両烈士義挙50年顕彰祭」。森田の早稲田大の先輩で、親交のあった作家・鈴木邦男さん(77)らが創設した民族派団体「一水会」が事実上の主催者である。
記者は今年45歳。三島が亡くなった年を迎えた。「三島事件」「三島・森田事件」「楯の会事件」など、事件をどう捉えるかによって呼び名はさまざまだが、詳しい背景にはここでは立ち入らない。その種の本はたくさんある。国会図書館によると、昨年から今年だけで、タイトルに「三島由紀夫」を冠した本に限っても40冊以上出版されているのだ。
記者は「三島や森田は右翼の軍国主義者だ」といった皮相な見方には同意しない。しかし、その主張、天皇や歴史、文化の捉え方、三島が用いた「真の日本人」「真の武士」といった言葉ににじむ人間観については、すべてではないものの、考えが異なる。
あえて付け加えるなら、三島が事件当日、自衛隊員に「決起」を呼びかけた「檄(げき)」で訴えた「自衛隊はアメリカの傭兵(ようへい)」という認識にはうなずくし、米軍基地に苦しむ沖縄を思えば日米安保体制はこのままでよいはずがない、と考えている。でも三島は、例えば「文化防衛論」(1968年)で言論の自由の大切さを強調した言論人なのだから、最後まで暴力ではなく、言葉で格闘すべきだったと思う。暴力は人を痛みと恐怖で屈服させる力のことだ。記者は絶対に反対だ。
その2人の追悼行事は毎年、各地で開かれるけれど、いまだに若者の姿が絶えない、と聞いていた。三島が左翼革命に危機感を募らせ、「楯の会」を発足させたのは68年。冷戦はとうに終わり、今や「政治の季節」ははるか遠い。なのになぜ若者が? そんな疑問があったのだ。
で、訪れた「顕彰祭」。ビル内のホールには2人の遺影と日の丸が掲げられ、祭壇には「楯の会」の古びた制帽が供えられていた。制帽の持ち主については後述する。
この日集まったのは100人ほどか。多くはスーツに身を固めた中高年だが、10~30代とおぼしき青年層も十数人いる。茶髪をなびかせた細身のイマドキ青年も少なくない。女性も数人いる。こわもてイメージが先行する「民族派」「右翼」だけど、こ…
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1975年東京生まれ。西日本新聞社を経て2004年入社。憲法・平和問題、永田町の小ネタ、政治家と思想、東京の酒場に関心があります。会社では上司に、家では妻と娘と猫にしかられる毎日を、ビールとミステリ、落語、モダンジャズで癒やしています。ジャズは20代のころ「ジャズに詳しい男はモテる」と耳に挟み、聞き始めました。ジャズには少し詳しくなりましたが、モテませんでした。記者なのに人見知り。
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