75年前に母の胎内で被爆した広島県廿日市市の原爆小頭症患者、吉本トミエさんが11月10日、慢性腎不全でひっそりとこの世を去った。原爆から逃げるように21歳で広島を離れたものの、夫の死をきっかけに障害のある長女(38)と46年ぶりに故郷に戻り、入院生活を送っていた。生まれながらの被爆者として孤独と痛みに耐えた74年の人生の最後は、新型コロナウイルスのため、支援者と満足に会うことさえかなわなかった。長女はうどんを二つ、ひつぎに入れた。
12日に廿日市市の葬儀場で営まれた葬儀には、長女と、原爆小頭症患者や家族でつくる「きのこ会」の支援者を中心に15人が参列した。遺影は年に1度の集まりで撮った穏やかな笑顔だった。歌が好きだった吉本さんのため、支援者が吹くホルンの音色に送られて出棺した。
原爆小頭症患者は、妊娠早期に原爆の放射線を浴びた影響で頭が小さく、脳や体に複合的な障害がある。吉本さんも生まれつき右足が不自由だった。還暦を過ぎて股関節の痛みが悪化し、40回以上も手術を繰り返したがとうとう治らなかった。お骨拾いの時、右の股関節のあたりを見ると粉々に砕けていた。「もっと歩きたかったろうね」。長年、吉本さんを支えてきた「きのこ会」会長の長岡義夫さん(71)=広島市安佐南区=がつぶやいた。
1945年8月6日、母は爆心地から約1・2キロのアパートで被爆した。翌年2月に生まれた吉本さんは体が弱く、右足をひきずっていたため、学校でいつもいじめられた。パン職人だった父が被爆後に体を壊して家計は苦しくなり、母が建設現場の日雇い労働で一家を支えた。だが「被爆して障害児を産んだ」という親戚か…
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