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長女はひつぎにうどんを二つ… 原爆小頭症の吉本さん逝く 孤独と痛みに耐えた74年

展示された自身の作品の前で、スケッチブックを手に笑顔を見せる原爆小頭症患者の吉本トミエさん=広島市中区で2017年7月18日、山田尚弘撮影

 75年前に母の胎内で被爆した広島県廿日市市の原爆小頭症患者、吉本トミエさんが11月10日、慢性腎不全でひっそりとこの世を去った。原爆から逃げるように21歳で広島を離れたものの、夫の死をきっかけに障害のある長女(38)と46年ぶりに故郷に戻り、入院生活を送っていた。生まれながらの被爆者として孤独と痛みに耐えた74年の人生の最後は、新型コロナウイルスのため、支援者と満足に会うことさえかなわなかった。長女はうどんを二つ、ひつぎに入れた。

 12日に廿日市市の葬儀場で営まれた葬儀には、長女と、原爆小頭症患者や家族でつくる「きのこ会」の支援者を中心に15人が参列した。遺影は年に1度の集まりで撮った穏やかな笑顔だった。歌が好きだった吉本さんのため、支援者が吹くホルンの音色に送られて出棺した。

生まれつき右足が不自由、40回以上の手術繰り返し

 原爆小頭症患者は、妊娠早期に原爆の放射線を浴びた影響で頭が小さく、脳や体に複合的な障害がある。吉本さんも生まれつき右足が不自由だった。還暦を過ぎて股関節の痛みが悪化し、40回以上も手術を繰り返したがとうとう治らなかった。お骨拾いの時、右の股関節のあたりを見ると粉々に砕けていた。「もっと歩きたかったろうね」。長年、吉本さんを支えてきた「きのこ会」会長の長岡義夫さん(71)=広島市安佐南区=がつぶやいた。

 1945年8月6日、母は爆心地から約1・2キロのアパートで被爆した。翌年2月に生まれた吉本さんは体が弱く、右足をひきずっていたため、学校でいつもいじめられた。パン職人だった父が被爆後に体を壊して家計は苦しくなり、母が建設現場の日雇い労働で一家を支えた。だが「被爆して障害児を産んだ」という親戚か…

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