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沖縄は復帰後も不条理強いる「反憲法下」 照屋寛徳氏の社民党への「遺言」

社民党両院議員懇談会で言葉を交わす福島瑞穂党首(左)と照屋寛徳衆院議員=国会内で2009年12月4日午前9時35分、藤井太郎撮影

 「はっきり申し上げます。全国の党員、先輩方が築いた遺産を全て食い潰したのはあなただ」。社民党の事実上の分裂が決まった11月14日の臨時党大会。福島瑞穂党首を痛烈に批判したのは衆参両院で23年間議員を務めてきた同僚の照屋寛徳(かんとく)衆院議員(75)だった。社民党で唯一の小選挙区の議席を守り続け、今期で引退を決めている「カントクさん」が、なぜあのような発言に至ったのか。社民党への「遺言」を聞いた。【遠藤孝康/那覇支局】

 「ウチナーの未来はウチナーンチュが決める!」。そう書かれた看板が目を引く沖縄県宜野湾市の後援会事務所で寛徳さんは待っていた。「ウチナー」は「沖縄」、「ウチナーンチュ」は「沖縄の人」のこと。同姓が多い沖縄では名前で呼び合うことが日常的で、照屋氏は親しみも込めて「寛徳さん」と呼ばれている。議員になるまでは弁護士として種々の相談にのり、刑事裁判で多くの無罪も勝ち取ってきた。そんな寛徳さんに早速、あの発言の真意を尋ねると、「今や社民党は衆参がたった4人。党員党友が高齢化して地方議員も減っていく。なのに、福島党首の党の再建にかける情熱を僕は全く感じない」と手厳しい答えが返ってきた。

 党大会では福島さんに対してこうも言った。「総選挙に勝利するためにはあなたが参院議員を辞めて、衆院にくら替えして立候補してください」。その言葉の裏には、衆院沖縄2区で6回の選挙を勝ち上がってきたという自負がある。特に2012年、14年、17年の直近3回は社民党として小選挙区で獲得した唯一の議席で、衰退一方の社民党にとって衆院沖縄2区は「最後の牙城」と言える。「長い弁護士活動を通じて面倒を見てきた企業や、無党派のおじい、おばあの強い支持ですよ。保守の社長でも『自分は自民党だ。だけど選挙になると照屋に投票する』と堂々と応援してくれた」

 寛徳さんが県議2期を経て、最初に国政に挑戦したのは1995年7月の参院選沖縄選挙区。社会党推薦の無所属候補として出馬表明した記者会見で「個人史とこの国の戦後史を重ねる中で、基地の島、沖縄からこの国の戦後民主主義を問うてみたい」と語った。その年は戦後50年、寛徳さんも50歳を迎える年だった。

 そう。寛徳さんは終戦の年の45年7月、サイパン島の米軍捕虜収容所で生まれた。戦前、島は日本の事実上の植民地で、沖縄県民が出稼ぎ移民として大挙して渡った。両親もその一員だった。第二次世界大戦が始まり、44年6月、島に米軍が上陸した。多くの日本人住民らが追い込まれ、「バンザイクリフ」と呼ばれる崖から身を投げた。その近くで両親らは捕虜になった。「11歳年上の姉が『水をたらふく飲んでから海に飛び込もう』と言って、ぐずっている時に…

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