累計400万部超のベストセラー「透明なゆりかご」で知られる漫画家の沖田×華さん(41)は、自身の発達障害や複雑な生い立ちをテーマにした作品も多く、「子どものころから死ぬことばかり考えていた」という。看護師から風俗嬢、漫画家へと転身した異色の経歴を持ち、2度の自殺未遂も経験している沖田さんに、現在に至るまでの心境の変化を聞いた。【野村房代/統合デジタル取材センター】
――小学4年の時に発達障害がわかったそうですね。どんな特性があったのですか。
◆忘れ物が多い、人の話を聞かない、団体行動ができない。それから帽子のひもや洋服のタグなど、受け入れられないものがたくさんあって、自分が決めたルールを守らないと登下校できない。文房具店の消しゴムのにおいを全部嗅がないと店を出られない、よその家の飼い犬に水をやってからでないと帰れない、といった独自のルールで、異常に時間がかかっていました。授業中は内容が全然頭に入ってこなくて、いつもぼーっとしていたから、先生が親に「白昼夢を見ています」と注意するほどでした。
それで詳しい医師がいる施設で検査したら、「学習障害(LD)と注意欠陥多動性障害(ADHD)の疑いがある」と言われたようです。中学の時にはアスペルガー症候群(ASD)でもあると診断されました。でも当時、周囲に療育機関もなければ知識がある人もおらず、何の対処もされなかった。「わざと勉強しない、わざと話を聞かない問題児」扱いされ、学校の先生からも体罰やいじめをよく受けていました。授業中にみんなの前で正座させられ、「おまえは人間以下だ」と言われたこともあります。
――それはとてもつらいですね。
◆家でも学校でも怒られない日が一日もなく、否定されてばかりだったので、小学2年ごろから「自分はいない方がいいんだ」と思うようになりました。当時、テレビ番組などで「死後の世界」がはやっていて、そっちの世界の方が楽しいんじゃないかって。どんな死に方がいいか夢想したり、1年に1回、遺書を書いたりしていました。
一番しんどかったのは、中学1年の時。担任の先生に目の敵にされて、テストの点数が悪いと殴られたり、人けのない雑務室に呼び出されて、体を触られたりしました。「頭の検査をする」と言われたから、自分の頭が悪いせいだと思って、抵抗できなかったんです。でも翌年、その先生が異動して、担任が代わりました。新しい先生は正反対の穏やかな人で、理不尽なことで怒られることはなくなり、成績が悪くても応援してくれて、志望の県立高校に行けたんです。
――高校卒業後には看護学校に通って、看護師資格も取った。でも22歳の時に、自殺未遂をしたんですよね。
◆学生時代は、…
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2002年入社。岡山支局、東京・生活報道部などを経て20年春から統合デジタル取材センター。ファッション、アート、カルチャーについて主に取材。また、障害や差別など光が当たりづらいマイノリティーの問題に関心がある。1児の母。共著に「SNS暴力 なぜ人は匿名の暴力をふるうのか」(毎日新聞出版、2020年9月発売)
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