生きて帰った特攻隊員を隔離軟禁 旧陸軍「振武寮」 跡地で分譲マンション建設進む

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旧陸軍施設「振武寮」跡地の前で話す西南学院大の伊藤慎二教授=福岡市中央区で2020年12月2日午後1時33分、矢頭智剛撮影
旧陸軍施設「振武寮」跡地の前で話す西南学院大の伊藤慎二教授=福岡市中央区で2020年12月2日午後1時33分、矢頭智剛撮影

 太平洋戦争末期、機体トラブルなどで帰ってきた特攻隊員を次の出撃まで収容した旧陸軍施設「振武(しんぶ)寮」(福岡市中央区薬院)跡地でマンション建設が進んでいる。振武寮を巡っては戦後、元隊員らが「収容中は生還したことを上官に激しく非難され、暴行されることもあった」と証言している。日本が無謀な戦争に突き進んだ日米開戦から8日で79年。惨禍を語り継ぐ体験者が少なくなる中、戦争遺跡の保存・継承を求める声は各地で高まっている。専門家は、埋もれた特攻の歴史を語り継ぐ必要性を訴える。

 振武寮は1945年、特攻作戦を主導した旧陸軍第6航空軍が福岡女学校(現在の福岡女学院中・高校)の寄宿舎を接収して創設。生還した特攻隊員約80人が収容された。特攻部隊の名称「振武隊」が名前の由来とみられる。公的資料が見つかっておらず設立経緯は不明だが、死んで「軍神」になったはずの隊員が生還していることを隠すため隔離し、次の出撃で特攻を成功させるため再教育していたとされる。

 振武寮の存在は旧陸軍の元幹部や元特攻隊員への聞き取りを重ねた記録作家の林えいだいさん(2017年に死去)の著書「陸軍特攻・振武寮 生還者の収容施設」(07年)などで知られるようになった。林さんは同著で、軟禁状態の隊員らが軍の参謀に「突入した軍神に恥ずかしくないのか」などと面罵され、軍人勅諭を延々と書き写させられたり竹刀で殴られたりした日常を明らかにしている。

 建物は45年6月の福岡大空襲で一部焼損。戦後は再び福岡女学院が使用し、学院移転後に取り壊された。跡地には64年、九州電力が「九電記念体育館」を建設。体育館も19年に解体され、その後、住宅メーカーが22階建て分譲マンションの建設に着工した。

 振武寮を調べている伊藤慎二・西南学院大教授(考古学)によると、当時の井戸跡が残っていたほか、建物の基礎や終戦直後に廃棄された文書などが残っている可能性があった。振武寮があった場所には平屋の弓道場が建ったが「体育館本体に比べて基礎が浅く、その下に古い基礎が残っているかもしれなかった」。

 福岡市は敷地内に振武寮があったことは把握していたが、近現代の施設だったため文化財保護法上の埋蔵文化財包蔵地とせず、住宅メーカーにも伝えていなかった。マンションが完成すれば地下を試掘できる見込みはほぼなくなるため、伊藤教授は「着工前に調査できていれば」と市の対応を残念がる。

 特攻を巡っては近年、旧陸軍・知覧特攻基地から出撃した隊員の遺品を展示する知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)を自己啓発のために訪れる人が増えるなど、若者が国のために命をささげたストーリーを賛美的に捉える風潮がある。

 「振武寮の存在は特攻が決して美しいものではなかった現実や、軍が整備不良の機体で出撃させていた無謀さを伝えている。せめて行政が説明板を設けるなど歴史を伝える取り組みをしてほしい」。伊藤教授はそう話す。

 林さんの取材活動…

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