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東日本大震災

2011年3月11日に発生した東日本大震災。復興の様子や課題、人々の移ろいを取り上げます。

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続・沿岸南行記

道路はきれいになったが… 陸に上がった68歳漁師が見た景色

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孫の湊大ちゃん(左)を前に笑顔を見せる横山武志さん=宮城県南三陸町で2020年11月14日午後3時6分、滝沢一誠撮影
孫の湊大ちゃん(左)を前に笑顔を見せる横山武志さん=宮城県南三陸町で2020年11月14日午後3時6分、滝沢一誠撮影

 紅葉で色づく山々を縫うように、「復興道路」として整備された三陸自動車道を走る。宮城県南三陸町の歌津(うたつ)インターチェンジ(IC)で降りると、ほどなく「南三陸ハマーレ歌津」に着いた。3年半前にオープンした海辺の商業施設だ。目の前には漁港が広がり、防潮堤の工事も進んでいる。

 ハマーレとは、仲間になるという意味の方言「はまる」や「浜」、イタリア語で海を表す「マーレ」を掛け合わせた造語。木のぬくもりが感じられる施設は建築家・隈研吾氏の設計で、日用品店やカフェなど8店舗が入る。訪れた11月14日は秋晴れの土曜日。新型コロナウイルスの感染が広がっているとはいえ、客の姿はあまり多くなかった。

 「南から延びてきた三陸道がさらに北の気仙沼までつながってから、随分寂しくなったよ」。待ち合わせていた漁師の横山武志さん(68)が言う。ここは元々、東日本大震災後の2011年12月にできた復興商店街だった。かさ上げ工事に伴って海側に移り、17年4月にハマーレへ生まれ変わる。17年末、三陸道が仙台方面から歌津ICまで延び、観光客らでにぎわった。しかし、三陸道がさらに延伸して19年2月に気仙沼方面までつながると、立ち寄る人も少なくなった。横山さんは「コロナで大変な時だから、人が来ないのも悪いんだか、いいんだか」と苦笑いを浮かべる。

半世紀以上を海で過ごす

 先輩記者が横山さんに出会ったのは、震災から1カ月後の11年4月15日。漁協の仲間と一緒にがれきの撤去に当たっていたところだった。家は高台にあり、家族も無事。だが、…

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