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井戸川絹子さん死去 陽気で優しいエース 64年五輪バレー金

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当時の思い出を話す、1964年東京五輪女子バレー金メダリストの井戸川さん=大阪府豊中市で2019年7月、梅田麻衣子撮影
当時の思い出を話す、1964年東京五輪女子バレー金メダリストの井戸川さん=大阪府豊中市で2019年7月、梅田麻衣子撮影

 1964年東京オリンピックで金メダルを獲得したバレーボール女子日本代表「東洋の魔女」のエースアタッカー、井戸川(旧姓・谷田)絹子さんが4日、脳出血のため81歳で亡くなった。新型コロナウイルスの影響で来夏に延期された東京五輪で聖火ランナーを務めることを楽しみにしていたが、かなわなかった。

 東洋の魔女の歓喜は64年東京五輪のハイライトだ。閉会式前日の大会第14日にライバルのソ連(当時)との全勝対決にストレート勝ちした。団体球技では五輪史上初の金メダルで視聴率はスポーツ中継歴代トップの66・8%を記録した。「鬼の大松」の異名をとった故・大松博文監督が「おれについてこい」と選手に猛練習を課し、独自に生み出した「回転レシーブ」による粘り強い守りで世界一に上り詰めた。努力と独創性という戦後の復興を象徴するようなチームで、力強いスパイクを放つエースが井戸川さんだった。

 当時のチームメートには、そのスパイク以上に陽気な性格でチームを引っ張る姿が記憶に残っている。東京五輪代表で共に戦った後輩の田村(旧姓・篠崎)洋子さん(75)は「面倒をよく見てくれた」と切り出し、大松監督に意見することも辞さず、喜怒哀楽を前面に出してプレーする井戸川さんを思い浮かべた。田村さんは「大松先生が練習の終わりに『若手はスパイク100本』と言って帰っていくと、谷田さんは残ってくれた。私たち…

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