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社史に人あり

関西には数百年の歴史を誇る企業があまたあります。商いの信念に支えられた企業の歴史、礎を築いた人物を中心に紹介。

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象印マホービン/17 母の太鼓判で電子ジャーが誕生=広岩近広

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世界初の電子ジャー「花雲」=象印マホービン提供 拡大
世界初の電子ジャー「花雲」=象印マホービン提供

 大阪で起業した「象印マホービン」は、1968(昭和43)年5月に創業50周年を迎えた。2代目社長の市川重幸は年頭にあたり、経営目標の第一に「アイデア商品の開発」をあげる。50周年の記念式典でも、「マホービンと暮らしに役立つアイデア商品の総合メーカーを目指す」と宣言した。

 これを受けて新製品会議が始まり、デザイン会議と並行して活発な論議を重ねる。開発室を商品開発室に改め、取締役で弟の博邦(後の3代目社長)が室長に就いた。社史はこう記している。

 <商品開発室では、自由な発想の下に、各種の商品開発に手を染めていったが、その一つが、従来の魔法瓶の基本である真空保温から離れた、電気による保温力を持つ商品であり、これは一つの発想の転換であった>

 そこで対象をジャーに切り替えて、電気保温の研究を始める。ジャーは戦後の一時期、ヒット商品だった。しかし、ガラス製品なので割れやすく、保温力も低いとあって、需要は下降線をたどっていた。

 「ジャー革命」を目指す商品開発室は、村田製作所製のサーミスタに着目した。発熱と温度制御という、ジャーにとって重要な働きをサーミスタは備えており、これを使うことで電子式への切り替えを狙った。

 「電子ジャー」の試作品は新製品会議にかけられ、改良に改良を重ねた。開発担当者は来る日も来る日も、試炊のご飯を食べては、ひたすら「おいしさ」を追求している。こうした前向きの取り組みを見守りながらも、社長の重幸は意外にも悩んでいた。社史から引きたい。

 <自由に試作させてやろうとは思っていたが、踏み切れないでいたのも事実であった。強力な電機業界の一角に首を突っ込むことからくるもろもろの波及効果を考えたからである。(略)ひるむのではないが、親の代から歩いてきた真空保温、魔法瓶の世界に足をとられていたことがないともいえなかった>

 商品開発室長の博邦は、社長職にある兄重幸の心中を察して動いた。試作の電子ジャーを、さっそく市川家に持ち込んだ。そこは兄弟ゆえに、なんら遠慮はいらない。こうして社長一家の試食と相成る。重幸と博邦の母であり取締役の志津は、この場で太鼓判を押した。重幸にしても、こんなに良いものであれば、市場に提供すべきだ、という考えに大きく傾くのだった。

女優の栗原小巻さんを起用した電子ジャー炊飯器の広告=象印マホービン提供 拡大
女優の栗原小巻さんを起用した電子ジャー炊飯器の広告=象印マホービン提供

 <すでにポットでは頂点に立っている。次になにかを育て、もう一つの柱を打ち立てる時期がきている。若い従業員たちもこれによって将来への夢をもってくれるだろう。起こるかもしれない障害は自分の手で排除していけば良い。社長は試作の続行を命じた>(社史)

 かくして1970(昭和45)年5月、「象印電子ジャー」の発表会が大阪と東京に続いて全国各地で行われた。世界初の新製品は大反響をもたらし、重幸にしても、これほど爆発的に売れるとは予想もしていなかった。秋を迎える頃には、代理店の社長がトラックで工場に乗りつけ、「今日はいくつ渡してくれる」と談判調で迫る一幕も見られたという。

 この年は「人類の進歩と調和」をテーマに、大阪万博が開催されている。象印マホービンが参加したテーマは「温度と生活のプロデュース」で、象印ブースには多数の観客が連日訪れた。

 (敬称略。構成と引用は象印マホービンの社史による。次回は12月19日に掲載予定)

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