連載
民間人80万人を含む310万人が犠牲になり、アジア諸国にも甚大な被害を与えた日中戦争、第二次世界大戦の終結から75年。戦後生まれが全体の8割を超え、戦争の実相を知る体験者は減り続けています。壮絶な体験を語り継ぎ、新たな悲劇を防ぎたい。体験者の「次代への遺言」を映像で記録します。
/4 関田寛雄さん(92) 「典型的な日本人」になろうと努め、負い目だけ残った
- Twitter
- Facebook
- はてなブックマーク
- メール
- リンク
- 印刷
「いつ、キリスト教徒であることがバレるか。それを恐れ、典型的な日本人になろうとした。差別される少数者はそういうふうに、多数者の側に寄り添っていく」
牧師の関田寛雄さん(92)=千葉県大網白里市=は太平洋戦争中の自身をそう振り返った。北九州市で生まれ、幼少期に大阪府吹田市に転居。父親も牧師だった。7歳の時に母親と死別。「イエスさまに守ってもらおう」と洗礼を受けた。
小学校時代、神社の境内で同級生から、「アメリカのスパイ」「キリスト教やめろ」と暴行を受けた。「この時代にキリスト教徒であることはやばいこと」。差別を免れるため、模範的な「軍国少年」になろうと努めた。軍事教練に励み、率先して「鬼畜米英、頑張るぞ」と同級生を鼓舞した。中学校の先輩たちは「後に続くを信ず」と言い残し、沖縄やフィリピンの戦場へと消えていった。
この記事は有料記事です。
残り710文字(全文1070文字)