伏見工の礎を築いた「泣き虫先生」元日本代表が語る「おやじ」の背中
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恩師との出会いは1977年、中学3年の冬にさかのぼる。ラグビー元日本代表の大八木淳史さん(59)は、入学試験のために志望校の伏見工高(京都市伏見区、現京都工学院高)を訪れた際、校門の前でジャージー姿の男性に突然、声をかけられた。「ラグビーやらへんか」。がっしりとした体格の男性こそ当時の伏見工ラグビー部監督、ドラマ「スクール・ウォーズ」で主人公のモデルになった「泣き虫先生」こと山口良治(よしはる)さん(77)だった。
口説き文句は「日本を代表する選手になれるわ」
大八木さんは建築業をしていた父の影響もあり、伏見工の建築科を進路に選んだ。中学までは野球やサッカーをしていて、高校でラグビーをするつもりは全くなかった。しかし唐突な勧誘に、「はい、そのつもりです」と反射的に答えてしまった。「オーラに圧倒されたんやと思う。受験番号『4060』『大八木』とメモをされて……。当時から身長が180センチ以上あったからスカウトされたんかな」と振り返った。
その日、山口さんは「試験の調子はどうや」と、テストの休憩時間になるたびに教室に顔を出し、声をかけてきた。試験が終わると自信を漂わせながら、口説いてきた。「お前がラグビーを始めたら、日本を代表する選手になれるわ」
熱く語りかけられた言葉が気になり、自宅に戻って山口さんのことを調べた。そして、ラグビーの元日本代表だと知った。「日本を代表するなんて、誰にも言われたことない。こんなことを言う大人に初めて会い、ワクワク、ドキドキするものを感じた」という。
合格発表の朝、自宅に山口さんから電話があった。「おめでとう。昼から練習来いよ」。まだ合格したことも知らない中、入部は既定路線になっていた。「サッカーのスパイクとジャージーを持って練習に行った。その日は練習試合があって、『試合、出てみるか。キックとかパスはせんでええから。ボール持ってゴールに向かって走るだけでいい』と。むちゃくちゃや。でも、やってみると『簡単やん』って思った」
チームメートの死 心を奮い立たせる
大八木さんの同級生には「スクール・ウォーズ」で「イソップ」として描かれた奥井浩さん(故人)がいた。…
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