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スクール・ウォーズの軌跡

「信じ、待ち、許す」屈辱の大敗から生まれた信念

伏見工高ラグビー部の監督に就任して間もない頃の山口良治さん(前列左端)と部員たち=京都伏見クラブ提供

 スコアボードが、屈辱的な結果を伝えていた。0―112。1975年5月17日、ラグビーの京都府春季高校総体。試合直後、当時の伏見工高(現京都工学院高)監督、山口良治さん(77)は声を振り絞り、部員たちに訴えた。

 「ほおの痛みは3日で消えるが、この悔しさだけは忘れるな。俺が勝たせてやる。覚悟して練習に来い」

 そして部員を一人ずつ殴った。容認される行為ではないが、壮絶な「儀式」をきっかけに、伏見工ラグビー部の歴史が始まった。

 元ラグビー日本代表FWで、名キッカーでもあった山口さんにとって、監督就任後初の公式戦だった。相手は前年度の全国高校大会で準優勝した花園高。無名の伏見工との実力差は大きかった。スクラムは押され、バックスを止められない。覚悟していたとはいえ、無抵抗に得点を許すシーンが繰り返され、山口さんは怒りが込み上げてきた。「勝つ気があるんか」と。

 しかし点差が一方的に開くにつれ、怒りは申し訳ない気持ちに変わった。「代わりにタックルもキックもしてやれん。俺はこいつらに何を教えてやったのか」。何もできない自分にもどかしさを感じた。

 試合後、サブグラウンドで山口さんは、うなだれる部員たちに声をかけた。「お疲れさま。けがはなかったか。相手は同じ高校生だ。悔しかったやろ」

 主将だった小畑道弘さん(62)は、予期せぬねぎらいの言葉に驚いた。厳しく怒られるとばかり思っていたからだ。そして決断を迫られた。「これからどうするんや」。へらへらとした態度で悔しさをごまかしていたが、もう限界だった。グラウンドにうずくまった小畑さんは、初めて本音をぶつけた。「俺は勝ちたい。気が収まらん。どんな我慢もするから来年、花高に勝たせてくれ。俺を殴ってくれ。目を覚まさせてくれ」。信頼関係が生まれた瞬間、歯車が動き出した。

 山口さんは74年に選手を引退し、伏見工に赴任した。元日本代表としての自負もあり、当然歓迎されると思っていた。しかし現実はシビアだった。当時、学校は荒れていた。校舎の窓ガラスはひび割れ、廊下や階段…

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長宗拓弥

1990年、兵庫県生まれ。2013年入社。松江支局を経て大阪本社運動部に異動し、ラグビーやサッカーJリーグなどを担当。ラグビーW杯日本大会や全国高校ラグビー大会(花園)を取材。趣味は筋トレ。ベンチプレスにいそしみ、野球部育ちだが、元ラガーマンと間違われるのがひそかな喜び。

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