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第100回全国高校ラグビー

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100回目のトライ

敗戦の悔しさ、ラグビーが生きる支え 90歳の“先輩”、花園に臨む後輩にエール

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同志社大4年時の広畠登さん。戦後に始めたラグビーが心の支えになった=本人提供
同志社大4年時の広畠登さん。戦後に始めたラグビーが心の支えになった=本人提供

 東大阪市花園ラグビー場で27日に開幕する全国高校ラグビー大会(毎日新聞社など主催)は今冬、戦時下による中断をはさみ、節目の100回大会となる。戦争直後、軍事色を排除するために武道が禁止された中、ラグビーと出会って生きがいを見つけた人もいた。同志社大で初のラグビー日本代表に選ばれた広畠登さん(90)=京都市左京区=は親しんできた柔道をやめて落ち込んでいたが、直後に始めたラグビーに魅了された。最初は「なんやこの変な形」と思った楕円(だえん)球が少年の心を救った。

柔道禁止「何をすればいいのか……」

 広島県出身で、小学校高学年で大阪府に引っ越した広畠さんは1943年、旧制四條畷中の柔道部に入った。技をかける楽しさに夢中になり、柔道を通じて大阪で初めて友達もできた。しかし、戦局が悪化するにつれて学徒動員が始まり、高射砲や航空機の部品などをつくることを命じられ、柔道の稽古(けいこ)もままならなくなった。

 45年に入ると、空襲警報が鳴り、軍事工場の近くの橋の下に避難したことがあった。聞いたことがないような爆音が響き、「震え上がった」。米軍のB29爆撃機が飛来し、すぐそばに爆弾を投下していった。「橋に落とされていたらひとたまりもなかった。近くの家につながれていた馬がひっくり返っていた」と振り返る。そして45年8月、終戦を迎えた。敗戦の悔しさはあったが、「これからは柔道ができる」。そう思ったところで「武道禁止令」が出されたのだ。

 「何をすればいいのか」。水泳を始めようかと思ったが、柔道部時代の仲間の勧めもあり、ラグビー部に入った。楕円球に初めて触れ、仲間とグラウンドを駆け回った。「全力でグラウンドを走れることが何よりうれしかった。ラグビーって一人では何もできない。一人一人に役割があって、それぞれがミスをしないように頑張らないと勝てない。それは柔道では味わえなかった」。団体競技であるラグビーに魅せられた。

 元々足が速く、柔道で鍛えていたこともあり、みるみるうちに上達していった。「相手にボーンと当たって、くるっと体を回して、抜き去るのが楽しかったねえ」。タックルの受け身では柔道の経験が生き、ほとんどけがをしなかった。

秩父宮での全国高校大会で準優勝

 鍛錬の成果…

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