アラブの春は「悲劇の秋」だったのか 「革命前の方が良かった」悩むチュニジア
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「この町はずっと罰を受けている。革命を最初に始めたからだ」。チュニジア中部シディブジド市。屋外市場で青果を商うムハンマド・ジェブリさん(46)は販売台にオレンジを並べながらそう話した。教員資格を持つが勤め先が見つからず、この仕事をずっと続けている。「革命前の社会は抑圧されていたが、生活は安定していた。今は悲惨だ。次は生きる糧を求めて新たな革命が起きるだろう」
2010年12月17日、友人の青果商ムハンマド・ブアジジさん(当時26歳)が同市中心部で焼身自殺した。10年前の友の死をジェブリさんはこう振り返る。「警官に何度も路上販売を妨害され、やむにやまれぬ抗議の死だった」。この悲劇を機に、もともと高圧的だった当局への抗議活動が始まった。情報が統制される中、フェイスブックなどのインターネット交流サービス(SNS)を通じてデモの動画は拡散。これが中東民主化要求運動「アラブの春」の始まりだった。翌11年1月、ベンアリ大統領(当時)はサウジアラビアへ逃亡し、23年続いた独裁政権は倒れた。
シディブジドでは12月17日を革命の記念日として、毎年式典を開催。今年もブアジジさんが自殺を図った現場近くの広場でコンサートが開かれた。近くにはブアジジさんの巨大壁画が描かれたビルもある。
チュニジアでは革命後、表現の自由を認める憲法も作られ、一定の民主化は進展。15年には、対立する各勢力を仲介し、民主化に貢献したとしてチュニジアの民間4団体による「国民対話カルテット」がノーベル平和賞も受賞した。だが混乱の影響で経済は悪化。世界銀行によると、10年に4000ドル(約41万円)を超えていたチュニジアの1人あたり国内総生産(GDP)は18年に3500ドルに落ち込んだ。無職女性のカウラさん(24)は「彼は私たちに何一つ良いことをもたらさず、無駄に命を絶った」と突き放し、こう話した。「私は革命前の方が良かった」
革命の幻想からは既に覚めている。当時デモの情報発信に奔走した一人で運転手のアブドゥーリさん(35)は「式典のイベントに金を使うくらいなら、貧困層に食料を配ってほしい」と話す。設備の整った病院もなかなか建設されず、中央政府に「見捨てられている」との思いが市民には根強い。こうした中、デモを主導した活動家グループは「革命が誤った方向へ進んでいる」との危機感を抱き、17日にカフェで記者会見を開いた。だが集まった報道陣は20人程度にとどまった。
民主化が進んだチュニジアはこれでも「唯一の成功例」とされる。この国の民主化デモが波及したシリアやリビアはその後、内戦に陥り、独裁政権が倒れたエジプトも再び強権的な指導者が政権の座についた。
「春」は幻だったのか。10年後のアラブの今を報告する。【シディブジド(チュニジア中部)で真野森作】
「何も変わっていない。むしろ悪化した」
国を代表する花にちなみ、民主化運動が「ジャスミン革命」と呼ばれたチュニジアは今も苦境にある。…
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