汗と涙が詰まったグラウンドには雑草が生え、二つのH字形ポールがひっそりと立っていた。「16歳から通った場所。思い出は数え切れないぐらいある」。高校ラグビーで数々の名勝負を演じてきた伏見工(京都市伏見区)の花園初優勝時(1980年度)のメンバーで、監督としても2度の全国優勝へと導いた高崎利明さん(58)は夕暮れの中、懐かしそうに母校のグラウンドを見つめた。
伏見工は2018年3月末、全日制が閉じた。洛陽工と統合し、京都工学院として再出発している。残る定時制(4年制)も来春には他校と統合され、京都奏和(そうわ)になる。20年春に伏見工の定時制校長に就任した高崎さんは9月から、開校準備を進める京都奏和の校長も兼務。今の1年生が卒業する24年春、「伏見工」の名は消える。
78年春に入学した高崎さんは、小柄ながら判断力に秀でたスクラムハーフだった。その年は高崎さんら中学時代に「オール京都」に選出されたメンバーの多くが伏見工へ進んだ。後に日本代表で活躍し、「ミスター・ラグビー」と称された平尾誠二さん(16年に53歳で死去)も、その一人だった。入学前に伏見工のラグビーに魅せられた選手が多かったという。
有望選手が集まった背景には、当時の監督で元日本代表FWの山口良治さん(77)の存在もあった。当時はやんちゃな部員もいたが、高崎さんは「山口先生を怒らせたらあかん、悲しませたらあかんという一線は、みんなが守っていた。勝つためにどうするかを考え、自分で矯正していく力がついた」と振り返る。
1年生の時は京都府予選決勝でライバルの花園高に敗れた。控え選手だった高崎さんは悔し涙を流し、記念品としてもらった小さなトロフィーを川へ…
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1986年、千葉県生まれ。2012年入社。広島支局、和歌山支局を経て、18年4月から大阪本社運動部でアマチュア野球などを担当。小中高では野球や卓球、バドミントンをプレーしていた。健康維持のため、阪神タイガースの近本光司選手がインスタグラムでレシピを紹介していたスムージーを毎朝飲んでいる。好きな言葉は謙虚、優しさ、絆。
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