注目の東農大二・石田、まさかの区間14位も「落ち込む暇ない」 高校駅伝

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1区で力走する東農大二の石田(中央)=京都市内で2020年12月20日、久保玲撮影 拡大
1区で力走する東農大二の石田(中央)=京都市内で2020年12月20日、久保玲撮影

 男子第71回全国高校駅伝競走大会(毎日新聞社など主催、SGホールディングス特別協賛)は20日、京都市のたけびしスタジアム京都(西京極陸上競技場)を発着点に7区間42.195キロのコースで開かれた。今年5000メートルの高校記録を2度更新した東農大二の石田洸介は1区で区間14位だった。

 競技場をトップで飛び出した。最初の1キロは2分45秒とハイペース。中盤まで独走状態だった。「迷わずに日本人最高タイムを狙いにいった。それがチームの目標に必要なことだった」。すべてはプラン通りのはずだった。

 異変が起きたのは5キロ過ぎ。「脚が全く動かなくなってしまって……」。想像以上に前半で体力を消費していたことに気づいた。焦りは呼吸を苦しくする。歯を食いしばり耐えたが、ズルズルと先頭争いから離脱。今大会随一の注目選手は区間14位に終わり、天を仰いだ。

 コンディションは良くなく、今月4日に出場予定だった日本選手権は直前に回避。「日本選手権と都大路の二つを追いかけるということが自分にとってはまだまだ難しいことだった。合わせられなかった自分の力不足。本当に申し訳ない」と振り返った。今年5000メートルの高校記録を16年ぶりに更新した力を出し切ることはできなかった。

 出身の福岡から縁もゆかりもない群馬へ。壁に挑み、そのたびに強くなった3年間だった。中学3年時に1500メートル、3000メートル、5000メートルの三つの「中学新」を出し、「スーパー中学生」と注目を集めた。東農大二に進んだのは選手の自主性を重んじる城戸口直樹監督の指導方針にひかれたから。「将来につなげるステップ」と自ら選択した。

 入学後、結果は出なかった。全国高校総体出場を逃し、駅伝も県予選で敗れた。「記録を持っている以上、宿命を背負わないといけない。中学の自分を引きずり過ぎていた」。苦しむあまりに「表に出たくない、行き場がない、陸上をやめたいと思っていたくらい」と追い詰められていた。

佐藤、大迫……出会いは「宝物」

 助けを求めたのは2012年ロンドン五輪5000メートル代表歴のある佐藤悠基(34)=SGホールディングス。中学時代にテレビで共演した縁のあるベテランに「モチベーションを保っていられる原動力は何ですか?」と尋ねた。佐藤の答えは「小さい目標を立てて一つずつクリアしていくことかな」。焦りが消えて、スランプを脱するきっかけとなった。

 最終学年の今年は大きく飛躍するシーズンとなった。7月の大会で5000メートル13分36秒89を出し、高校記録を約3秒更新。その直後に一大プロジェクトに加わった。マラソン日本記録保持者の大迫傑(29)=ナイキ=が主催する、大学生以下を対象にした合宿に参加。高校生では唯一だった。

 大迫のメニューを基準とした練習に懸命についていった。期間中、積極的に大迫に質問した。すべての答えに「世界」を感じた。「『強くなるため』にずっとつなげていた」。合宿の約1カ月後の大会の5000メートルで大迫と同組になり、ラスト1周まで食らいついた。及ばなかったが、13分34秒74をたたき出し、自らの高校記録を更新した。

 佐藤も、大迫も、陸上という競技に真剣に向き合ったからこそ、得られた宝物だ。スランプでも支えてくれた仲間、見守ってくれた城戸口監督にも感謝しきれない。だからこそ、この駅伝が恩返しの場となるはずだった。高校最後に、またも壁が立ち塞がった。

 「(3年間)波は激しかった。結局また、いい結果で締めくくれなかった。その雪辱は大学で果たしていかないといけない」。レース後の落胆から早くも、目に闘志が宿っていた。来年は関東の大学に進学し、そこでは「世界」を見据えた調整をしていくつもりだ。「落ち込んでいる暇はない」。きっとまた強くなれる。それを知っているからこそ、立ち止まるつもりはない。【生野貴紀】

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