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宮崎・小林の冨永が思い知った経験の差 支え合った仲間と目指す箱根 全国高校駅伝

レース終了後、自分を責める小林・冨永(左)に寄り添うチームメート。勝負の厳しさをかみしめる姿があちこちで見られた=京都市右京区のたけびしスタジアム京都の外で2020年12月20日午後3時45分、塩月由香撮影

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 京都・都大路で20日あった男子第71回全国高校駅伝競走大会(毎日新聞社など主催)に3年ぶりに出場し、14位だった宮崎県立小林高校。全国最多57回出場・優勝7回という金字塔の一方、2015年を最後に入賞から遠ざかる状況を変えようと、選手はもがく。1区を走った冨永昌輝(まさき)=3年=もその一人。流れは呼び込めなかったが、また一つ、駅伝というものを知った。

 5人兄弟の末っ子として同県三股町で育った。父博文さん(56)も同校OB。小林高の3年間、名将外山方圀(とやままさくに)監督(17年、76歳で死去)の下で都大路を走り、3年時の第33回大会(1982年)にチームは3位に。その後、第40~46回(89~95年)に博文さんも監督を務め、小林を3度、全国3位に導いた。

 父中心にテレビで駅伝を見るのが冨永家の冬の日常だったが、冨永自身は「途中で眠くなっていた」と笑う。駅伝の面白さを知ったのは中学時代。元監督の息子という立場から「中途半端な気持ちなら行かないほうがいい」と戒めた父を振り切り小林に入学したものの、当初の成績は5000メートルが16分ジャストと平凡。

 2年時、先を行く同級生は何人もいる現実を前に「追い付きたい」と自己分析に着手。どんな練習をしたらけがをするのか、どんな時に好タイムが出るか。するとめきめき成績が伸び、自己ベストを14分5秒にまで伸ばし、3年生の県予選で初めて1区を任された。

 中央大時代に父が箱根1区で区間2位と快走した映像も部の寮で初めて目にし、「仲間を、父を超えたい」と刺激になった。

 「やっと全国の選手と走れる。楽しみでしかない」と話していたが、経験の差を思い知った。中盤以降、次々にペースを上げる選手が続く中、得意の下り坂でも追い付けず26位。10位以内でたすきをつなぐことを想定していた冨永はレース後「自分のせいだ」と涙をこぼした。走った選手一人一人にレース後「ごめん」と頭を下げ、うつむいた。

 そんな冨永に一人、また一人と仲間が声をかけ、ねぎらうように肩をなでた。3区を走り、区間日本人2位で14人を抜いた倉掛響(3年)、6区を走り9位まで順位を上げた楠木悠人(同)の姿があった。

 3人は卒業後、共に東京国際大に進学し、箱根を目指す。互いに支え合い、高め合う。都大路の悔しさをかみしめ、箱根の糧にする。【塩月由香】

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