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南海に散った雪部隊

太平洋戦争の激戦地、西部ニューギニアで遺骨収集再開が実現してから30年。現地政府と交渉に当たった中心人物を取材した。

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南海に散った雪部隊

遺骨帰還から30年/上 飢餓、マラリア…1万人が戦死 死の淵、舞う紙切れに涙 /山形

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遺骨収集の実現までを語る木村莞爾さん=山形県米沢市で2020年11月20日、佐藤良一撮影
遺骨収集の実現までを語る木村莞爾さん=山形県米沢市で2020年11月20日、佐藤良一撮影

 太平洋戦争末期、「雪が見たい」と言い残して東北出身の兵士たちが散ったという激戦地、西部ニューギニア(現インドネシア・パプア州)。困難視された遺骨収集の再開が実現してから30年を迎える今年、現地政府と交渉に当たった中心人物に、遺骨が帰還するまでの道のりを取材した。【佐藤良一】

 「枕元に戦友の亡霊が立つんだよ」と板垣清一郎知事(当時)から打ち明けられたのは、元県議の木村莞爾(かんじ)さん(78)=米沢市=だ。1988年6月、板垣知事から知事室に呼び出され、インドネシアでの遺骨収集を頼まれた。「大統領に会って交渉してくれ」と懇願されたという。

 43年、西部ニューギニアに派遣された通称「雪部隊」。正式には第36師団で、山形、秋田、岩手、青森の20代を主力とする精鋭部隊だ。1万4000人が同州サルミ地区に上陸し、約1万人が戦死した。約3500人の県出身者も犠牲となり、生還者は600人あまりとされている。

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