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東京へ ともに歩む

毎日新聞

2019年7月の国際大会で銅メダルを獲得し、仲元歩美コーチ(左)と喜び合う工藤=米インディアナ州フォートウェインで(仲元コーチ提供)

Passion

15年ぶりに競技を再開 パラ柔道・工藤博子 ブランク回復 コロナ禍も好転

 視覚障害者柔道界に約15年のブランクを経て、東京パラリンピックに挑む選手がいる。女子63キロ級の工藤博子(36)=シーズアスリート=だ。地元・大分で介護職員をしていた一人の女性が2018年、畳の上で頂点を目指すアスリートに転身した。【真下信幸】

 体重約1000グラムの未熟児として生まれ、「未熟児網膜症」を発症した。左目はほとんど見えず、右目も視力は0・1以下という。中学生の時、田村亮子(現・谷亮子)の活躍による「ヤワラちゃんブーム」に触発され、友人と柔道部を設立して競技を始めた。高校でも健常者に交じって継続。県大会で個人3位になるなど実力を伸ばしたが「大学で続けるには実力的に難しい」と、卒業を機に競技から離れた。その後、短大に進学し、介護福祉士の資格を取得。卒業後は高齢者介護施設で働いていた。

 転機が訪れたのは16年の秋だ。「東京パラリンピックでメダルを目指せる。一緒に世界を取ろう」。突然、こう持ちかけたのは、高校の同級生で当時、東京で視覚障害者柔道選手を指導していた仲元歩美さん(36)だ。後に日本視覚障害者柔道連盟の強化コーチにもなる仲元さんは、多くの試合を見る中で「手足が長く、技に切れがあった工藤なら世界レベルでも通用する」という感触を持っていた。

 ともに畳の上で汗を流した盟友からの誘いに、工藤は「そんなの無理無理」と固辞。「体もやせていたし、全くできる気がしなかった」。それでも、仲元さんから会う度、電話の度に熱心に誘いを受け、徐々に心境が変化。折しも、当時付き合っていた婚約者が重い病気を患って別れざるを得なくなり、ふさぎ込みがちになっていた状況も重なった。「自分を変えたい。もう一度立ち上がろう」と決意。18年2月に上京し、本格的に柔道を再開することになった。

 復帰当初は体が激しい稽古(けいこ)についていかず「肌も弱くなっていて道着の縫い目が当たっただけで痛かった。骨折や脱臼をしたこともあった」という。それでも、担当コーチとなった仲元さんの指導を受け、徐々に柔道勘を取り戻していった。18年6月に国内大会で初優勝。その後は国際大会でも表彰台に上がるなど実績を積み、20年8月に東京大会代表候補に内定した。

 3月に東京大会の1年延期が決まったが、ブランクが長かった工藤にとっては「時間が足りないと思っていたので、本当にラッキー」(仲元さん)。課題であるフィジカル面を強化するために、筋力トレーニングを重点的に行い、体重の増量にも取り組んだ。工藤は「コロナ期間中での成長を実感している。東京大会では金メダルを目指す」と意気込み、こう続けた。「きっかけをくれた仲元コーチと喜びを共有したい」。二人三脚で壮大な挑戦を完結させる。

くどう・ひろこ

 1984年生まれ、大分市出身。中学から柔道を始め、大分女子高(現・大分西高)、別府溝部学園短大出身。2018、19年の全日本視覚障害者柔道大会で優勝。18年アジアパラ大会(ジャカルタ)で銅メダル。得意技は大外刈り。

真下信幸

毎日新聞東京本社運動部。1990年、神奈川県生まれ。2013年入社。鳥取支局、福山支局(広島県)を経て、18年4月から現職。パラスポーツや社会人、高校などのアマチュア野球を担当。19年はラグビーW杯も取材した。高校時代はラグビー部に所属。全国屈指の強豪・桐蔭学園からチームで奪った1トライを今でも自慢している(試合は7ー52で敗戦)。