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「民間人」が見た戦地

太平洋戦争では若い女性や少年らが軍に雇われ動員された。軍人とは異なる形で「戦力」に組み込まれた人たちの証言に耳を傾ける。

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「民間人」が見た戦地

/2 輸送船「日鉄丸」の元信号士 魚雷直撃、身震い今も

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日鉄丸の写真を手に、米軍の攻撃を受けて沈没した状況を語る前田俊文さん。当時はまだ14歳の信号士だった=三重県志摩市で3月
日鉄丸の写真を手に、米軍の攻撃を受けて沈没した状況を語る前田俊文さん。当時はまだ14歳の信号士だった=三重県志摩市で3月

遺体を海へ、見送る汽笛

 日米開戦から3年近くたった1944年10月14日午前2時すぎ。日本海軍が徴用した輸送船「日鉄丸」(5993トン)はフィリピンのマニラをたち、英国やオランダから奪った油田があるカリマンタン(ボルネオ島)へと南シナ海を進んでいた。南洋航海では船室内は暑くて眠れない。14歳の信号士だった前田俊文さん(91)=三重県志摩市=は同期の仲間と甲板にゴザを敷いて横になっていた。

 突然、ドーンという音が響いて、船体が大きく揺れ、前方で火花が上がった。米軍潜水艦の魚雷攻撃を受けたとすぐに悟った。エンジンから煙が上がり、炎が広がる。跳び起きて救命ボートがある上の甲板へ駆け上がった。水が足元まで迫る。ボートを下ろす時間がない。そばにあった竹のいかだを抱え、同期と2人で船外に飛び降りた。

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