昭和の人情酒場通りが立ち退きの危機 神戸の有楽名店街 訴訟判決迫る

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有楽名店街で長野春男さん(左)が料理の腕を振るう「彩季」の店内=神戸市中央区で2020年12月4日午後6時17分、山本真也撮影
有楽名店街で長野春男さん(左)が料理の腕を振るう「彩季」の店内=神戸市中央区で2020年12月4日午後6時17分、山本真也撮影

 120メートルの昭和のぬくもりは消えてしまうのか。

 小料理屋やスナックなどが並ぶ神戸市中央区の阪神元町駅の地下通路にある「有楽名店街」の店主らが、防火問題から閉鎖を決めた貸主の阪神電鉄に立ち退きを求められている。戦後の1947年から所狭しと軒を連ねる店舗は最盛期の3分の1に数が減ったものの、阪神大震災にも耐えた日本最古級の地下飲食店街。新型コロナウイルス禍で客足が減り、最近はトイレも壊れたままだが、店主らは「お客さんをいつまでも『お帰り』と迎え入れたい」と店に立つ。明け渡し訴訟の判決が迫る中、店主らの思いを聞いた。【山本真也】

「ほっとできる場所」

 「りさ」「よっちゃん」「りりー」……。阪神元町駅の東口と西口を結ぶ地下通路は約120メートルにスナックや居酒屋など15店が並ぶ。師走の平日の夜、記者が歩くと、人通りはほとんどないが、ドアの隙間(すきま)から話し声やカラオケの音が漏れ聞こえた。

 すし店「彩季(さいき)」では店主の長野春男さん(67)が包丁を握っていた。カウンターでは4人の客が談笑するほか、しんみり1人でグラスを傾ける人も。兵庫県加古川市の婦人服販売業の女性(52)は「安くておいしい。一日の終わりにほっとできる場所」。週1回、2キロを歩いて飲みに来るという男性(87)は「年金暮らしの数少ない楽しみ」と笑った。

 長野さんは20代から有楽名店街で働いた。96年に地上に出て近くで大きな居酒屋を開店したが失敗。3年後に再起をかけ、地下に戻って築いた根城がこの店だ。なじみの客に支えられてきた。コロナ禍の時短営業も影響して今年の売り上げは例年より4割減ったが、「ここでしか生きられん。しんどくても踏ん張るしかない」と話す。

震災も1カ月後にネオンともる

 有楽名店街は戦後間もない47年、元町駅の地下通路の開通に伴い「阪神メトロ街」として開業。64年に現在の名称となった。店の自治会「有楽名店会」によると、地下飲食街として国内で一、二の古さという。最盛期の60年代は50店ほどが軒を連ね、港湾労働者やサラリーマンらでにぎわった。

 79年には建築基準法の改正で多くの店が「基準不適格」に当たると神戸市から指摘を受けたものの、違法建築物ではないことから、消防法に沿って誘導灯やスプリンクラーが整備され、営業を続けた。95年の阪神大震災では建物に大きな被害はなく、1カ月ほどたつと多くの店にネオンがともった。

 立ち退き問題が持ち上がったのは2014年11月のことだ。その8カ月前、大阪の阪急十三駅前に密集する飲食店街(通称・しょんべん横丁)で39店舗が焼ける大規模火災があったこともあり、阪神は店主らに「地下通路には避難階段がないなど、構造上、火災で危険が予想される」と説明。16年3…

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