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東京へ ともに歩む

毎日新聞

「WFPと出合えたことが力になっている」というファッションモデルの知花くららさん=東京都渋谷区で2020年12月8日、滝川大貴撮影

東京・わたし

モデル・知花くららさん「オリンピックは子どもたちに夢を与える場所」

 ファッションモデルの知花くららさん(38)は、2020年のノーベル平和賞を受賞した国連世界食糧計画(WFP)の日本大使でもある。その活動の中で、ケニアのオリンピックメダリストにも出会った。聖火ランナーに選ばれている知花さんにとってのオリンピック・パラリンピックについて聞いた。【聞き手・本橋由紀】

 ――東京2020オリンピックの聖火ランナーに選ばれていますね。新型コロナウイルスの状況は予断を許しませんが、もし順調に走れるならば、どんなふうに走りたいですか。

 ◆とても名誉なお役目で、ふるさとの沖縄で走ることになっています。家族も私がそういう場所に立つのを間近で見るのは久しぶりでしょうし、オリンピックをお祝いするという意味も込めて、地元の方たちとその瞬間を楽しめたらいいなとは思っています。

 ――ご自分で応募されたのですか。

 ◆お話を頂きました。お笑いタレントのゴリさんも走るっておっしゃっていたので、決まった時にご連絡しました。ゴリさんは親戚なんです。

 ――準備万全だったのですね。

 ◆とても楽しみにしていました。誰も予測していなかった延期という事態で残念ですが、こればっかりはしょうがないです。

 ――オリンピックにはどのような興味が。

 ◆小学生の時にフィギュアスケートの種目をテレビで見てすごく憧れました。「将来はフィギュアスケーターになりたい」「伊藤みどりさんみたいになりたい」って書いた覚えがあります。

 ――1992年のアルベールビル冬季大会の伊藤さんは女子初のトリプルアクセルを跳んで、銀メダルを取りました。

 ◆両親からは「沖縄にスケートリンクがないのにどうやって練習するの?」って突っ込まれました。(フィギュアスケートは)衣装も綺麗だし見ていても楽しいし、 すごく憧れを持ったのを覚えています。

 その後もフィギュアスケートはずっと好きな種目です。ジャンプの瞬間はすごいドキドキして見ています。ずっと踊りをやっていたためか、競技プラス芸術的なものを競う種目には憧れます。最近では男子のジョニー・ウィア選手(米国)の、観客を巻き込むような演技が好きでした。

 あとは2000年のシドニー・オリンピックなどのシンクロナイズドスイミング(現アーティスティックスイミング)に出場したビルジニー・ドデュ選手(フランス)が大好きで、DVDまで持っています。

オリンピアン・テルガトさんの教え「学校給食は人生を180度変える」

「オリンピック・パラリンピックは子どもたちに夢を与える場所」と知花くららさん=東京都渋谷区で2020年12月8日、滝川大貴撮影

 ――WFP大使としての活動の中で、ケニアのオリンピアンにお会いになったことがあるそうですね。

 ◆ポール・テルガトさんです。テルガトさんはWFPの支援を受けて育ち、オリンピックで活躍しています。

 ――96年のアトランタ大会と00年のシドニー大会で、いずれも陸上1万メートルで銀メダルを取った選手ですね。

 ◆現役は引退されましたが、アフリカの子どもたちに語りかける内容はとても説得力があります。「くらら、いいかっ? WFPの(提供する)食事は人生を180度変えるんだよ」って。「学校給食は人生を変えてくれたんだ!」とおっしゃって。

 WFPの「学校給食プログラム」活動は、毎日の食事を通して教育の機会につなげていくという、種まきはしても花が咲くところまで追いかけることはできない、地道な活動です。ですからテルガトさんみたいな方の生の声を聞くと、「やっぱりそういう活動ってすごく大切だし、子どもたちにとって意味があることなんだな」と励ましを頂いた感じで、泣きそうになりながら「ありがとうございます!」って、お話をたくさんうかがいました。

 ――例えばどのような話でしょうか。

 ◆子ども時代、食料が本当にない。日々食べるものがない状態で、「WFPの支援などがなかったら、家の仕事をしてただろうね」と。

 ――才能が引き出されることはなかったわけですね。

 ◆そうなんです。給食を食べに来れば、学校という場に結びつく。だからこそ開けた選択肢だったと思います。すごく気さくな方でした。

WFPとの出会い

 ――WFPがノーベル平和賞を受賞されましたね。おめでとうございます。

 ◆とても地道な活動を堅実にコツコツやってきたことが、受賞で脚光を浴びて、今まで活動をご一緒した現地の方々や事務所のスタッフさんの顔を思い浮かべて、「ああ良かったなー」って想いました。

 ――WFPの日本大使の役割は?

 ◆視察に行き、帰ってきて原稿を書いたり、取材を受けたり、報告会でお話をさせていただいたりします。

 ――WFPでの活動は、06年のミス・ユニバース世界大会で2位になってからですね。

 ◆私を推薦してくださった方がいまして。ミス・ユニバースを終えて、帰国してからいろいろなお仕事をいただくようになりました。本当は出版社で編集の仕事をしているはずで、社員証の写真も撮っていました。それで、出版社の人事の方に最初ご相談に行ったんです。4月1日の入社で、その月の2週目にミス・ユニバースの日本大会があったので、「日本大会が終わったら編集として働きたい」と相談に行ったら、「君が日本大会で1位にならないなんて誰が言い切れますか。人生に保険をかけるのはどうかと思います」っておっしゃっていただき、内定を辞退させていただきました。その選択は結果としては正解でした。WFPに出合えましたから。

たくさんの子どもに夢を

 ――コロナ下のオリンピックについてどのようにお考えですか。

 ◆先が読めず、何が起こってもおかしくないと思いますが、どういう状況であれ、世界が一丸となって動かなきゃいけないと思います。結果として、やらないことになれば受け入れなきゃいけないし、大会が実施されるのであれば楽しみたい、という半々の感情があります。

 ――パラリンピックはご覧になりますか。

 ◆パラリンピックはすごいです。エネルギーをもらいます。私は五体満足で何不自由なく育ってきましたが、生まれた時やその後に体の一部を失ってしまうことを受け入れるのは、勇気がいると思います。ショックもあるでしょうし……。でもそれを原動力、バネに変えて活躍することで、世の中の憧れになります。たくさんの子どもにも夢を与えられるし、本当に背中がまぶしいです。

 ――競技をご覧になったことは。

 ◆小さいころにトライアスロンをやっていたので、水泳はすごく好きな種目です。

 ――トライアスロンですか!

 ◆ジュニア部門です。数百メートル泳いで、バイク5キロ、ラン20キロとか。小学生4年生くらいからエントリーしていました。祖父が自転車屋さんをやっていて、トライアスロン仲間が集まるお店だったので、大会に出るならドロップハンドルの自転車を作ってあげるって。ブービー賞ばっかりでしたけど、中学生くらいまでやっていました。部活はテニス部。大学に入ってフラメンコを始めたので。キックボクササイズをジムで教えていたこともあります。

 ――何か言い残したことはありますか。

 ◆テルガトさんの例もありますし、オリンピックは子どもたちにすごく夢を与える場所だと私は思っています。やっぱりオリンピックは開催してほしいし、みんながそれを楽しめる状況になれるといい。そこを目指して頑張っている選手たちもいっぱいいるので、応援したいです。

ちばな・くらら

 1982年生まれ、沖縄県出身。モデル。国連世界食糧計画(WFP)日本大使。上智大を卒業した2006年、ミス・ユニバース世界大会2位。07年、WFPのオフィシャルサポーターに就任し、13年から現職。15年に女優デビュー。著書に短歌集「はじまりは、恋」(角川書店)など。

本橋由紀

毎日新聞オリンピック・パラリンピック室委員/東京編集編成局編集委員。1963年東京都生まれ。1987年入社。東京社会部、英文編集長、夕刊編集部デスクなどを経て2011年に福島支局長、13年地方部長など。18年7月から現職。高校時代は水泳部、早稲田大学ではラグビー蹴球部副務を務めた。17年のつくばマラソンを3時間43分59秒で走り、ベストを更新した。