2020年12月7日。プロ野球界での生き残りを懸け、多くの選手が合同トライアウトでしのぎを削っていた頃、西武の元投手、藤田航生(こうき)さん(23)はスッキリとした表情で東京都内のファミリーレストランにいた。16年に入団し、1軍登板がないまま、今季限りでユニホームを脱いだ左腕は、次の道への一歩を踏み出そうとしていた。「4月から3年制の専門学校に通います。この考えが変わらないうちに早く行動したほうがいいと思ったので」。だが、プロ生活に話が及ぶと「毎日が地獄でしたね……」と表情が曇った。そしてゆっくりと苦悩の5年間を語り始めた。
藤田さんは、青森県立弘前工高からドラフト9位でプロ入りした。キレのある直球と大きく曲がるカーブが持ち味で、スカウトからは「将来の先発ローテーション候補」と評された。ところが、地元から大きな期待を受けて送り出された18歳はすぐに自分を見失ってしまった。
1月の新人合同自主トレーニング。3日目だったと記憶している。いつ…
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1990年、大阪府生まれ。2013年入社。佐賀支局を経て、福岡、東京の運動部でプロ野球取材を担当。大学3年時に「M-1」出場も一笑いも得られず予選で敗退。最前列で何でも笑っていた女子高生が、暇そうに携帯を見ていた姿がトラウマ。
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