<75年 核なき世界はまだか documentary report 265>
「最近は誰の顔を最後に見て死ぬんか、そんなことばかり考えておる」。3月末、坪井直さん(95)は電話で記者に弱音を吐いた。広島県原爆被害者団体協議会(県被団協)のトップとして、毎年8月6日の首相との懇談会に出席し、核兵器禁止条約の批准を求めてきた。しかし、病気と高齢のため体が言うことをきかず、前年に初めて欠席した。「もう安倍(晋三)さんと会うことはかなわんのう」と寂しげにつぶやいた。
3度も危篤に陥りながら75年を生き抜いてきた坪井さんが、いつも持ち歩いていた写真がある。原爆投下の約3時間後、爆心地の南南東約2・3キロの御幸橋西詰め。髪が縮れ、全身にやけどをして座り込む男女の中に、20歳の坪井さんが写っている。地元紙・中国新聞の写真記者だった故松重美人(よしと)氏が、30分以上ためらった末に撮った最初の1枚。この日、苦しむ市民の姿を捉えた写真は、松重氏が残した2枚しか確認され…
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