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文芸回顧(上) 柳美里、多和田葉子…… 女性作家の国際的評価がさらに高まり、多様化進む

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対談に臨む翻訳家の都甲幸治さん(左)と文芸評論家の田中和生さん=東京都千代田区で2020年12月10日、西夏生撮影
対談に臨む翻訳家の都甲幸治さん(左)と文芸評論家の田中和生さん=東京都千代田区で2020年12月10日、西夏生撮影

 新型コロナウイルスがまん延し日常が激変した2020年。作家たちはたゆまず文学作品を生み出し続けた。同時に日本の女性作家の海外での評価が高まった。この1年の文学の成果について、毎日新聞「文芸時評」欄執筆者で文芸評論家の田中和生さんと、外国文学に詳しい都甲幸治さんに作品5選を挙げ、語り合ってもらった。内容を2日連続で掲載する。まずは、村上龍さんや多和田葉子さんの新作などを取り上げた前編。【構成・棚部秀行、写真・西夏生】

「文章がうますぎた」村上龍、「表現の幅を広げていった」村上春樹

 田中 「日本文学」というより、日本語で書かれた「日本語文学」、あるいは多様性という理念からよい作品が考えられるという傾向は、今年もそんなに変わっていないですね。

 都甲 昨年も回顧の対談をしましたが、その点は大変わりはしていないですね。

 田中 実際に日本の作家たちがボーダーレスに世界で受容され、「文壇的な配慮」がさらにリアリティーをなくしつつあります。

 都甲 もちろん新型コロナウイルスのまん延で日常が変われば、当然、いいと感じるものは変わってきます。

 田中 まずは村上龍作品(村上龍『MISSING』)。1990年代は「村上龍・村上春樹の時代」と言われ、どちらかと言うと評論家からの評価が高かったのは、龍さんでした。

 都甲 僕もたくさん読んでましたよ。

 田中 そういう感じですよね。ところが2000年代に入って、春樹さんの国際的な評価が高くなり、さらにこの10年、龍さんが長編を書きあぐねている感じがあったと思うんです。これは久しぶりの長編で、作者自身を思わせる語り手が記憶の中にある女性たちから呼び掛けられ、夢と現実が入れ替わりながら自分の存在を手探りしている。私小説的ですが、私小説そのものだと書けなさそうなところまで言葉が届いている。非常に面白かった。戦前に朝鮮半島の女学校へ通っていたという母親の存在から、作者が近代日本の歴史を背負っているという驚きもありました。

 都甲 90年前後は、龍さんは本当にかっこいい存在で『ピアッシング』(94年)など、周りの友達と、日本で一番すごいんじゃないかと言っていました。

 田中 文学が文化を引っ張っているように見えた時代ですね。

 都甲 その後ある種のバブル的な価値観が廃れていった。高いホテルに泊まって、フランス料理を食べて、という価値観が崩壊した後、龍さんはどうするんだ、ってずっと思ってたんです。でも『五分後の世界』(94年)など、二つの時空が微妙にずれながら立体的に日本について考えるなど、批評的な射程は元々あったと思う。今回村上作品が挙がっていて実はうれしかったです。

 田中 龍さんは、実は文章がうますぎたと思う。春樹さんは、ちょっとずつ表現の幅広げていって、長編を書き継ぐという点がよかったのではないか。

 都甲 例えば春樹さんの『1Q84』(09年)の格闘シーンのドライブ感は、『コインロッカー・ベイビーズ』(80年)と似ていたり、ここ20、30年で「春樹」が「龍」化していったんじゃないかと思っています。

 田中 春樹さんは、いまでは何でも書けるような感じですが、その分、作品に向かう内的衝動は弱くなっているかもしれません。

 都甲 そうですよね。今回の作品は二人のイメージが交錯しているようですね。

花村萬月作品 「似たものが思いつかない」

 田中 驚きがあったということで言えば、花村萬月作品(花村萬月『帝国』)もそう。人類が出現する以前の3億年前にあった、幅が5キロのまま南北を貫いている細長い国の話です。あり得ないですけど、あり得ないものがあるという前提です。非常に思弁的で、読んでいるとやっぱり細長い国って、たぶん日本で、隣の大きな国と行き来があるというのは、例えばアメリカや中国が思い浮かぶ。ただ現実と結びつけられるものは何一つ書いてない。SF的なんですが、主人公に託して性的なものをすごく掘り起こしていく感じもあって、面白く読める。

 都甲 花村さんはデビュー作が話題になりましたね。直木賞的な人が芥川賞を取ったということもあった。

 田中 花村さんは基本的に性と暴力が中心に出てきて、そこに芸術的なものに届く祈りもあるという書き方でした。それがこの作品では、リアリズムの小説からできるだけ遠いところまで行って、この世界の根っこにあるものを捉えようとしています。なかなか似たものが思いつかないという作品です。今年はコロナ禍で、皆で現実を共有するという体験自体がほとんどありませんでしたが、遠いところから現実の底にあるものを拾ってくるという書き方で、村上作品とならんで実力ある男性作家の作品として印象に残りました。

「柳美里作品が面白いよって教えてくれた」全米図書賞受賞

 田中 一方、日本の女性作家は「日本文学」というよりも、もっと直接的に世界とつながるようになって、評価が高まりました。番外編の柳美里作品(柳美里『JR上野駅公園口』)が全米図書賞翻訳部門を受賞したのは、今年を象徴する事件ですね。

 都甲 柳さんの作品は2000年より前くらいまでは読んでいましたが、そのあと何となく読まなくなりました。その間に彼女は東日本大震災の被災地の福島の人たちと交流を深め、南相馬に移住し、そこを起点に書店もやりながら、今作では南相馬出身の、最終的にホームレスになる男の話を書いたんですね。高度成長時代を裏で支えた男性です。しかもSF的な文章でもないのに、亡霊のような立場から見た世界になっている。原発ができる前に福島の人たちが、北海道や東京などいろんなところに出稼ぎに行って、何とかギリギリ生きてきた。郷土の歴史を掘り起こして、日本の裏側みたいな話を、厚めに何百年分もまとめながら、標準語や福島弁などいろんな言葉で重層化している。とてもいい作品です。柳さんの作品が面白いよって教えてくれたのは結局、全米図書賞の翻訳部門を選んだ人たちです。英語版はかっこいい文章で訳してあって、当然ながら、福島弁のところは消えている。代わりにわりと強い方言でこう言った、と説明が入る。その分、分かりやすくておしゃれな感じになっています。

 田中 柳さんは自身のことについては、一度『8月の果て』(04年)で書き切った印象がありました。その後『山手線内回り』(07年)という実験的な作品で、東京の駅前にいる語り手を設定し、そこで聞こえてくるノイズを全部拾うような作品を書いた。今回、そういう歴史の中で見えにくくされているものとか、誰かが聞き取らないと埋もれてしまう小さな声を聞き取るやり方と震災後に南相馬に移住したことが合わさり、この作品が生まれてきた気がします。上野駅という選択も絶妙です。これまでの日本人作家では、こうまで書けなかったんじゃないか。天皇と対比される悲惨な東北出身の人物を描き、震災後の話まで入ってきて救いがない。ここまで過酷なものに寄り添えるのは、作者のなかにそういう人間のあり方がリアルだという確信があったんだと思う。

 都甲 在日韓国人もちゃんと日本政府に税金を払っているのに、いつまでたっても日本のフルメンバーにされていないような感覚、それと東北がうまく掛けあわさって、つながった感じがします。面白いと思ったのは、賞の発表の時に、南相馬の書店から動画を配信して、東北と全米図書賞を出している外国が直接やり取りしていたこと。東京という都市を介さないで国際化している。翻訳部門を選んだ委員長はディナウ・メンゲスツというエチオピア移民なんですよね。彼自身は4、5歳ぐらいでアメリカに来た人で、政治的、経済的な理由でエチオピアからアメリカに来た人たちを描いている作家です。アフリカ生まれの人がアメリカでどう生きるかと、在日韓国人が日本でどう生きるか、あるいは福島の人が出稼ぎでどう生きるのか、といった問題が共振したんだと思う。だから地方の話なのに世界的な広がりがあった。ローカルだけどグローバルな感じがすごくて、こういうのは東京にいると盲点ですよね。

 田中 翻訳を通じて、再評価される必然性があったと思います。

 都甲 全米図書賞の翻訳部門はまだ3年目で3人しか受賞していなくて、1回目が多和田葉子さん、2回目は小川洋子さんが候補になって、今回は柳さん。受賞者3人しかいないのに日本から2人です。

 田中 それを「日本女性の活躍」と言うのも、もう古くさいかもしれないですね。

 都甲 多和田葉子さんはドイツに住んでいるし、柳さんは韓国系。「日本女性」というくくりもお…

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