「貧しい女なら言うことをきく」元ホームレスが感じた視線 「渋谷事件、彼女は私」
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「年を取った時、自分もバス停でひとりポツンと座っている姿が浮かぶんです」。東京都渋谷区のバス停で今年11月、路上生活者の女性が男に頭を殴られ死亡した。その境遇を、自分と重ね合わせる女性がいる。山野恵美さん(38)=仮名。大学卒業以来、非正規雇用の仕事を転々とし、5年間の路上生活も経験した。今年夏には、新型コロナウイルスの影響で日雇いの仕事も失った。菅義偉首相は目指す社会像に「自助・共助・公助」を掲げるが、行き場を失って路上に迷い出る女性たちの姿が、その目に見えているのだろうか――。事件を「ひとごとと思えない」と語る女性に、話を聞いた。【木許はるみ/統合デジタル取材センター】
「全くひとごとと思えない」 デモ会場での叫び
事件が発生したのは11月16日午前4時ごろ。渋谷区幡ケ谷のバス停のベンチに座っていた路上生活者の大林三佐子さん(64)が、近所の酒店従業員、吉田和人被告(46)=傷害致死罪で起訴=に頭を殴られ、死亡した。
大林さんが路上生活に至った経緯は詳しくは分かってはいない。結婚はせず、十数年前に上京したようだ。約3年前に杉並区のアパートを引き払い、今年2月ごろにスーパーの販売員を辞めていた。現場のベンチに座ったまま寝ている姿が、以前から近所の住民などに目撃されていたという。起訴された吉田被告は、「事件前日にお金をあげるからバス停からどいてほしいと頼んだが、断られて腹が立った」「痛い思いをさせればいなくなると思って殴った」などと供述している。
記者が山野さんと会ったのは、12月6日、渋谷区の代々木公園周辺で開かれた大林さんを追悼するデモの会場でのことだ。「ずっと非正規で日雇いで暮らしてきて、今のコロナで仕事もなくなり、暮らしているんですけれど、全くひとごとと思えず、自分にも起こるかもしれない」――。ニット帽にコート姿でマイクを握り、声を振り絞るように語る姿が気になった。「私は野宿していたこともあるし、野宿者の支援に携わっていたこともあるんですけれど、その中でも嫌な思いをすることがたくさんあって……」。大林さんの事件を「自分のこと」と捉えるその思いを詳しく聞きたくて、後日、都内の公園で落ち合うことにした。
会社勤めに希望持てず非正規に 震災で気力失い
山野さんは2005年に関東の大学を卒業して以降、人材派遣会社5社以上に登録し、日雇いを中心に非正規の仕事で生計を立ててきた。「私は就職氷河期の最後の世代です。必死で就職しても嫌な目に遭って辞めていく人を10代のころからずっと遠目に見てきたので、会社に就職することにあまり希望を見いだせなくて」。精神的に不安定になることもあり、同じ職場に居続けるよりも、日雇いの働き方が自分に合っていると思っていた。
そんな生活を5年ほど続けて、30歳目前になった山野さんを待っていたのが、派遣労働を巡る社会の変化だった。関東の他県に住む祖父母の介護でしばらく仕事を離れ、11年夏に半年ぶりに復職しようとしたが、その前年に政府が労働者派遣法改正を決定し、日雇い派遣を禁止する動きが広がっていたのだ。
「もう前の働き方はできなくなるんだ」。当時、友人宅に居候していたが、その友人も失業し、居続けることが難しくなっていた。さらに震災とその後の社会的不安感の増大は、もともと不安定だった山野さんの精神に負担をかけ、「仕事を探す気力がなくなっていた」。
母子家庭で、母親も非正規のため頼ることができない山野さんは、生活保護の申請も考えた。だが、「当時は受給者へのバッシングも強かったですし、行政の窓口で自分の出生や成育歴のプライバシーをすべてさらけ出すのも、その後の生活をずっと管理されるみたいで」抵抗があったという。行政が用意するシェルターや宿泊場所があっても、「大部屋でプライバシーがなかったり、入所者の間のいじめがあったり、劣悪なところと聞いていたので、なかなか入ろうとは思えませんでした」と語る。
行き場をなくした山野さんは…
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