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#やまゆり園事件は終わったか~福祉を問う

植松聖死刑囚の死刑判決が確定した相模原障害者殺傷事件。日本の障害福祉政策の問題点と、解決の道筋を探ります。

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#やまゆり園事件は終わったか~福祉を問う

植松死刑囚の「心の闇」で片付けてはいけない 取材記者の思い

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19人が死亡した障害者施設「津久井やまゆり園」前に咲く、一輪のしらゆり。その後、施設は建て替えのために解体された=相模原市緑区で2016年8月25日午後2時19分、喜屋武真之介撮影
19人が死亡した障害者施設「津久井やまゆり園」前に咲く、一輪のしらゆり。その後、施設は建て替えのために解体された=相模原市緑区で2016年8月25日午後2時19分、喜屋武真之介撮影

 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害された事件から4年5カ月が過ぎた。今春には植松聖死刑囚の死刑が確定したが、これで事件は終わったのだろうか。こうした問題意識から始めた連載「やまゆり園事件は終わったか?~福祉を問う」(ニュースサイトと紙面で9~11月に掲載)には読者から多くの反響を頂いた。その返信として取材記者の思いを書いてみたい。【上東麻子/統合デジタル取材センター】

 取材を通じて感じたのは「障害者を人として扱っていない」支援現場の実態と、それを容認してきた社会の在り方だ。

 まず疑問に感じたのは責任の所在だ。もちろん、凶行に及んだ植松死刑囚に最も重い責任がある。だが、彼だけが悪いのだろうか。彼の差別的な言動が繰り返し報道され、特異性が強調される一方、多くの人が「事件と社会はつながっている」と指摘していた。

 どちらも事件の一断面なのだろう。ただ、事件直後からやまゆり園の支援に問題があったのではないかとの声は福祉関係者の間でささやかれていた。とはいえ施設は「密室」だ。重度知的障害者は処遇上の問題を訴えることが難しく、その実態はなかなか見えてこなかった。

 あきらめかけていた取材を再開したきっかけは判決理由だった。植松死刑囚が「職員が利用者に暴力を振るい、食事を与えるというよりも流し込むような感じで利用者を人として扱っていないように感じたことなどから、重度障害者は不幸であり、その家族や周囲も不幸にする不要な存在であると考えるようになった」と判決には記されていた。

 事件は「やまゆり園=被害者」「福祉=善」の構図で語られがちだった。しかし、判決はその構図に疑問を投げかけたのだ。それはその後明らかになった事実とも符合していく。

 神奈川県のやまゆり園への立ち入り調査で昨年末、20人25件の身体拘束が行われていたことが分かった。外部識者による検証委員会が記録を精査し5月に出した中間報告では、24時間の居室施錠を長期間行うなど、虐待の疑いが極めて強い行為が行われていたことなどが指摘された。

 やまゆり園の職員や元職員、園の支援実態をよく知る関係者への取材を進めると、利用者に暴力を振るったり、…

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