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インドネシア・ジャワ島中部にある古都ソロから北西に約30キロ。タラックブロト村で暮らすルスディさん(92)は太平洋戦争中、日本兵とともに連合国軍と戦った。日本軍が戦線拡大による兵力不足を補うため、占領した東南アジアの若者を武装させた「兵補」だった。大本営が置かれた東京から5600キロ離れた農村でルスディさんは訴える。「日本の皆さん、ヘイホがいたことを忘れないで」
農家の5人兄弟の長男に生まれ、1943年、15歳の時に兵補になった。動機は「家計を楽にしたかったから」。先祖は植民地支配をするオランダにサトウキビの強制栽培をさせられ、祖父や父の世代も裕福ではなかった。米作りで生計を立てる中、土木工事の肉体労働や門番の倍以上という給与が魅力だった。理由はもう一つ。「連合国軍の憎いオランダ人と戦うためでもあった」と振り返る。
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