元青学大箱根ランナーが「スーパー公務員」に 福島復興、地域振興と走り続ける

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産業課に在籍していた2018年、原付きバイクのみよし市のご当地ナンバープレートを作成した横田竜一さん。地元のサッカーJ1名古屋の公式マスコットと、地元の大提灯まつりをモチーフにした=愛知県みよし市の市役所で2020年12月18日午後2時58分、小林悠太撮影
産業課に在籍していた2018年、原付きバイクのみよし市のご当地ナンバープレートを作成した横田竜一さん。地元のサッカーJ1名古屋の公式マスコットと、地元の大提灯まつりをモチーフにした=愛知県みよし市の市役所で2020年12月18日午後2時58分、小林悠太撮影

 近年の箱根駅伝で注目を集める青山学院大陸上部。常勝チームに育てた原晋監督(53)の1期生として、2008年正月の箱根で4位のフィニッシュテープを切ったランナーは今、愛知県みよし市の職員として働いている。大学卒業後のニート生活、転機となった被災地・福島への派遣、地元活性化のアイデア……。「熱血で公務員っぽくない公務員」と呼ばれる素顔に迫った。【小林悠太】

「アイドルになったような気持ち」で快走

 「人口減の日本で小さい自治体は合併されていく。みよし市の名前をいつまでも残したい。市民の誰もが『ウチの市は』と自慢できるものを示していきたいんです。『甘み』と『みよし』を合わせて『甘みよし』。私が考えました」

 JR名古屋駅から車で1時間弱。みよし市の農協の会議室で横田竜一さん(35)は、「甘みよし」と書かれたポスターや段ボール箱の前で笑顔になった。みよし市の特産品である梨、柿、ブドウなど果物の魅力を伝えるキャッチコピー「甘みよし」。みよし市産業課時代の16年にポスターを作製すると、17年からは農協のブランド名として看板や果物の箱に使われるようになった。市のPRは得意だが、自分のPRはしないと決めている。元箱根ランナーであることを内緒にしてきた。

 「『箱根』と言うだけで『すごい』と言ってもらえますが、活躍したわけでもなく、過去の栄光に過ぎない。そこにすがっていては、先に進めないと思っています」

 08年1月3日。青学大4年生だった横田さんは、箱根駅伝復路の最終10区に登場した。今のフレッシュグリーンとは異なる濃い緑色に「青学大」と記されたユニホームを着て夢心地で駆け抜けた。箱根を逃したチームの主力で結成する関東学連選抜のアンカーとして望外の4位でたすきを受けた。前後と差があり、残り数キロで運営管理車の原監督から「もう、いいぞ」と指示が飛んだ。ペースを落とすと余裕が生まれ、沿道の人垣が目に入った。

 「考えてもいない順位でたすきが来るので緊張していたら、中継所に仲間たちが来て気持ちをほぐしてもらいました。アイドルになったような気持ちで楽しく走れました」

 青学大は前年秋の予選会で当時9枠だった本戦進出まであと一歩の10位。次点となったことで関東学連選抜の指揮を原監督が執り、予選会で好走の横田さんも初めて出場した。関東学連選抜を史上最高の4位に導いたことが「原晋伝説」の第一幕となり、翌09年、青学大は33年ぶりの箱根出場で復活ののろしを上げた。一方の横田さんは実業団から誘われ、原監督から現役続行を勧められたが、箱根を最後に陸上から離れた。

 「お酒が好きという理由で名古屋市の居酒屋に就職しました。正社員ですが、アルバイトと同様にホールもキッチンも務め、午前4時まで働いて、早朝から昼まで寝る生活。生活時間帯が普通の人と異なることに後で気がつきました」

 高校時代の友人が来店してくれても勤務中なので一緒に話せない。自分だけ違う世界にいると感じて1年弱で退社を決めた。みよし市内の実家に戻るとアルバイトもせず、読書やゲームざんまいの日々を送った。

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