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新型コロナウイルスの感染拡大で競技活動が制約されても、「今が一番心の余裕がある」と話すアスリートがいる。コロナ禍で初めての大規模大会となった2020年9月のパラ陸上日本選手権でアジア新記録をマークした女子走り幅跳びの中西麻耶(35)=阪急交通社=だ。その源泉を探ってみた。
日本選手権は、1年延期された東京パラリンピックとほぼ同時期に開催された。19年世界選手権女王は、「パラリンピックがあると想定してピークを合わせた」という狙いがはまったことで自信をさらに深めた。
大会前、中西は大きな決断をしていた。練習拠点の変更だ。地元の大分県由布市では高齢の祖父母と同居していた。国内でコロナの感染状況が深刻化した20年春以降は「家族を守りながら練習を継続できる方法はないか」と、19年から師事する荒川大輔コーチ(39)がいる大阪近辺への移住を検討。7月に兵庫県伊丹市に転居した。
自粛期間中は競技場の利用もままならず、河川敷での練習を余儀なくされた。ただ、従来の環境に戻った今でも大切な場所だ。「競技場はどうしても人が集まりがち。何よりも不整地を走ることでの学びがたくさんある」。06年に勤務先で事故に遭い右膝から下を切断した。不安定な地面を走ることで「残された機能をフルに生かすことを心がけるようになった」という。地道な走り込みで助走の推進力が増しただけでなく、膝の曲げ方次第で装着する義足の反発の仕方が変わることにも気づかされた。
男子走り幅跳びで07、09年世界選手権に出場した荒川コーチとの何気ない会話も、成長を促した。
義足はカーボン製で、これまでいかに硬い材質を使って反発力を高めるかを考えてきたが、荒川コーチは「硬けりゃいいわけではないんじゃない?」と投げかけた。きっかけは、2人の共通の趣味である釣り。しなりがいい釣りざおの方がいろんな動きに対応できるから、義足の板バネも柔らかな素材の方が記録を伸ばせるのではないか。19年から大手義足メーカーと契約し、最も懸念していた用具費の負担が解消。「新しい義足に挑戦しやすくなった」と中西が振り返る通り、迷いなく「相棒」の変更に踏み切り、好記録を残している。
苦境を糧にしてきた競技人生だ。09年に単身渡米した際には貯金を取り崩し、行きずりのレストランで皿洗いを志願して食事を提供してもらったこともあった。「足を失っただけでなく、資金難に陥っても選手を続けてきた。これまでの経験を振り返れば『まだ努力できる』と思える」。コロナもいつか出口が見えると信じているから、前に進める。
東京大会後、パラアスリートを巡る支援の行方は不透明な点も多い。だからこそ、プロ選手として活動する中西は結果を出すことを重視する。「スポンサーには私と契約してよかったと思ってもらいたい。会社のトップだけでなく、社員一人一人にも。それが社会との関わりにつながっていく」。ロールモデル(手本)として自身が国立競技場で頂点に立つことが、今後のパラスポーツの命運を握ると信じている。【岩壁峻】
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「2度目」となる東京パラリンピックイヤーが幕を開けた。新型コロナウイルスの影響を避けながら、奮闘するパラアスリートを描いた。
毎日新聞東京本社運動部。1986年、神奈川県生まれ。2009年入社。宇都宮支局、東京運動部、北陸総局(石川県)を経て、2019年10月から東京運動部。現在は主にパラスポーツを担当。2016年リオデジャネイロ・パラリンピックは現地取材した。中学~高校(2年まで)はバレーボール部。身長が低かったため、中学の顧問には「スパイクは打つな」と言われて育つ。
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