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ウルトラマン、桁違いに大きいスケール感を造形に落とし込んだ 美術評論家・椹木野衣さん

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インタビューに答える美術評論家の椹木野衣さん=東京都渋谷区で、幾島健太郎撮影
インタビューに答える美術評論家の椹木野衣さん=東京都渋谷区で、幾島健太郎撮影

 「特集ワイド」の新年企画「サブカル巡礼2021」第1回は映画「シン・ウルトラマン」。円谷特技プロダクション(現・円谷プロダクション)の美術総監督としてウルトラマンをデザインした芸術家の成田亨さんについて、美術評論家の椹木野衣(さわらぎ・のい)さん(58)に聞いた。【藤原章生】

 ――1999年に始まる美術展「日本ゼロ年」を企画、監修した椹木さんが、長く純粋芸術とはみられていなかった成田さんの怪獣原画などを芸術作品として展示したのは、何かきっかけがあったのでしょうか。

 ◆あの時は「日本の戦後美術」「現代美術」「アート」という枠をリセットしたいという思いから、リセットをキーワードにしました。その際、着目すべきアーティストが何人かいると思ったんです。岡本太郎、横尾忠則、写真家の東松照明の3氏と成田亨さんでした。皆さん、純粋美術家としての評価が定まっていなくて、実は横尾さんでさえ80年代に「画家宣言」したのに、99年の頃は公立の大きな美術館で展覧会を開いていませんでした。

 岡本太郎さんが亡くなったのは96年で、99年に川崎市が岡本太郎美術館を造りましたが、それにも反対運動が起きるほど、忘れられた存在だったんです。

 だけど、この人たちが残した仕事は後の世代に多大な影響を与え、1960年代生まれの美術家たち、例えば村上隆さんなどが出てきたわけですが、その系譜はそれまでの美術界では触れられていなかったんです。ですからこの4人をどうしても取り上げたいと思ったんです。

 中でも成田さんは、僕が子供の頃から絶大な影響を受けてきた人でしたが、美術界との接点は他の3人よりも少なかったので、実際にお訪ねして、手探りから始まった感じでした。

 ――66年の放送開始の時、椹木さんは4歳ですが、「ウルトラマン」はご覧になりましたか。

 ◆記憶が漠然としていますが、それまでに見たことがない主人公、それに基地がすごいと思ったように思います…

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