メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

社史に人あり

竹中工務店/1 始祖は織田信長の普請奉行=広岩近広

1970年大阪万博のポスターなど関連資料が展示された「建築と社会の年代記」展=神戸市中央区で2020年1月21日、清水有香撮影

[PR]

 神戸市中央区の神戸市立博物館に足を運んだのは、2020(令和2)年2月20日だった。特別展「建築と社会の年代記―竹中工務店400年の歩み―」が開催されていた。「図録」によると―1899(明治32)年2月16日に、14代竹中藤右衛門が神戸の地で創立したのが現在の竹中工務店である。目を奪われた「400年」について、博物館の大谷幸正館長は「ごあいさつ」で、次のように解説している。

 <竹中工務店の基盤は、織田家の普請奉行であった始祖の竹中藤兵衛正高が仕事の方向性を模索した結果の工匠時代に遡(さかのぼ)り、そこから約400年を超えて刻み続けてきた歴史にあります。そして、宮大工として培い、継承手仕事のすばらしさを大切に維持しながら、近現代の建築での最新技術にも研鑽(けんさん)し続けてこられました>

 なんと「400年」の時空を超えて、竹中工務店の始祖にたどりつくのである。ということで、織田信長の時代にタイムスリップしたい。

 信長は1534年、尾張守護代の一族に生まれた。その後、戦国時代の主役に躍り出るや、1567年8月に美濃の斎藤氏を倒して、濃尾平野を支配する。さらに信長は1573年7月、第十五代将軍の足利義昭を追放し、室町幕府を滅ぼしてから元号を天正に改めた。

竹中藤兵衛が普請奉行として仕えた織田信長は、現代もヒーローとして「あづち信長まつり」で武者行列を率いる=滋賀県近江八幡市安土町下豊浦で2016年6月5日、金子裕次郎撮影

 この時代にあって、竹中工務店の始祖竹中藤兵衛は織田家の普請奉行だった。奉行は武家時代の職名で、上命を受けて一部局を担当した。社史は次のように記している。

 <織田信長の時代の普請奉行は、城池の築造、城市の計画をはじめ、新田の開発、道路橋梁(きょうりょう)の整備のための治山治水の事業を掌握したものと推定されるが、当時は戦国時代の末期でもあったし、奉行も臨時職であったにちがいない。従って、竹中の始祖も、これらの事業が要請されるにつれて、その奉行を担当したものであろうが、その詳しいことは何もわかっていない。ただ、禄(ろく)800石を受けていたことから、相当重要な地位にあったものと考えられる>

 信長は1576年、琵琶湖を見下ろす滋賀県の安土山に築城を命じた。足かけ4年を要して完成した安土城は、信長にとって「天下布武(ふぶ)」の拠点だった。巨大な城郭の造営に、藤兵衛が関与したかどうかは定かでない。

 信長は1579年5月に天主を住まいにするが、本能寺の変(1582年6月)で、明智光秀に討たれた。羽柴秀吉はただちに兵を挙げて、主の敵光秀を山崎の合戦で破った。松下浩著「信長と安土城」(堀新編著「信長公記を読む」吉川弘文館に所収)に、次の記述がみられる。

 <信長の死後、安土城には信長の息子である信雄(のぶかつ)や孫の三法師(さんぼうし)などが入城しており、安土城の機能が失われていなかったことを示している。(略)この段階ではのちの天下人秀吉といえども織田家中の一武将に過ぎず、他の宿老たちと織田家の存続を図っている>

 織田家の普請奉行、竹中藤兵衛も主家の存続を願う一人であった。

(敬称略。構成と引用は竹中工務店の社史による。次回は1月16日に掲載予定)

おすすめ記事
広告
毎日新聞のアカウント
ピックアップ
話題の記事

アクセスランキング

毎時01分更新

  1. 「30%を切ったら危険水域」 菅内閣の支持率大幅低下に政府・与党危機感

  2. 「午後8時には閉めない」反旗を翻した外食チェーンの本気

  3. コロナで変わる世界 偽情報の規制が情報統制に デジタル世界の専門家が警告する「不安の増幅」

  4. 「首相にふさわしい人」河野氏トップ 菅首相は3位に転落 毎日新聞世論調査

  5. 大規模火災にドローン威力 奈良県広域消防、3機運用 情報収集に貢献

編集部のオススメ記事

のマークについて

今週のおすすめ
毎日新聞社は、東京2020大会のオフィシャルパートナーです