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葦平を知る最後の肉親 河伯洞で語り部22年
芥川賞作家・火野葦平の三男、玉井史太郎さんが5日、83歳で亡くなった。若松区の葦平旧居「河伯洞(かはくどう)」管理人として、晩年の22年間を葦平文学の継承にささげた。生前の葦平を知る最後の肉親だった。
玉井さんは河伯洞が公開された1999年1月、管理人に就任。葦平の足跡を来場者に語り続けた。故花田俊典・九州大大学院教授や坂口博・創言社編集長(いずれも当時)らと「葦平と河伯洞の会」を作り、2000年から研究史「あしへい」を年1号ずつ22号にわたり発行。未刊行の葦平作品や日記、書簡を掘り起こし葦平文学の再検証に努めた。
葦平は7人の子をもうけたが、玉井さんは最後の存命者。思春期には「葦平の息子」として周囲から特別視されることに反発、葦平の勧めで入学した早稲田高等学院を退学した。<(以後)蕩児(とうじ)としての自堕落な生活を送るようになった。それは1960年の父の自殺まで、改められなかった。(管理人就任は)さんざんに不孝を重ねてきた若い日の償い>と、99年度の北九州市自分史文学賞大賞受賞作『河伯洞余滴』で告白して…
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