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福島由登(ふくしま・ゆうと)さん
昨年12月3日の都市対抗野球大会決勝で最終回に救援登板し、優勝の瞬間はマウンドに立っていました。全国優勝は大阪桐蔭高3年の夏の甲子園以来2回目ですが、社会人では入社8年目で初の経験だったのでうれしかったです。
小学2年の時、2歳上の兄と野球チームに入りました。練習がない日も野球好きの祖父に教わりながらキャッチボールなどをしていました。共働きだった両親には「勉強できへんのやったら野球はやめろ」と厳しく育てられました。中学の時は硬球を使うリトルシニア。「プロを目指すなら県外の強豪校に行こう」とプロ選手を輩出していた大阪桐蔭高に進みました。
練習も寮生活も厳しかったのですが、野球をやめたいとは思いませんでした。プロ野球選手になるという目標があり、根っからの負けず嫌いだったこともあるかもしれません。勉強は数学が得意で、野球部で唯一、(学力で)一番上のクラスに入りましたが、自主学習をしないとついていけないレベルだったので、2年になる時に先生に頼み、クラスを下げてもらいました。授業後は野球の練習を優先し、勉強する時間がなかったため、授業中…
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