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「黙示録の世界をどう生きるか、これが私の問いかけです」。世界をエスプリとユーモア、ときにおしゃれな映像で描き出すパレスチナ人の映画監督、エリア・スレイマンさん(60)は、今の世の中を聖書の黙示録に出てくる人類の終末にたとえる。新作の日本公開を前に映画の底に流れる思想を聞いた。【藤原章生】
2019年製作の新作のタイトルは、原題をそのまま訳した「天国にちがいない」。韓国映画「パラサイト」がパルムドールを受けた同年のカンヌ国際映画祭で特別賞、国際映画批評家連盟賞をダブル受賞している。キリスト生誕の地、イスラエルのナザレとパリ、ニューヨークを舞台にした映画は18年に撮られたのに、新型コロナウイルスに襲われた今をそのまま描いているような場面が続く。
人のいないパリの街で、3人の警察官がロボットのような動きで犯人を淡々と追いかけていく。ハロウィーンなのか、さまざまな仮装をしたニューヨーク市民が行き交う街は一見、日常のように見えるが、何かが違う。よく見ると、ベビーカーを押す母親も、年配の女性も肩に自動小銃やマシンガンをまるでハンドバッグのようにぶら下げている。会話はほとんどない。かすかな笑みをたたえているスレイマン監督そのものとみられる主人公も口を閉じたままで、隣人とも会話しない。隣人が何者かわからないことをよしとしているようでもあり、戸惑っているようでもある。監督のその演技が絶妙だ。
この映像を18年に撮ったということは、コロナの時代を予測していたのか。そう問うと、監督は笑いながら否定した。
「いや、たまたまです。私は単に現代を、つまり黙示録、終末論の後のような状況を見せたかっただけなんです」。聖書に出てくる最後の審判といった話ではなく、あくまでもたとえである。人類は行き着くところまで来てしまい、もはや前に進みそうもなく、世界はもう終わり、といった意味合いである。
「人のいないパリの街をクリーム系の色で明るく見せているのは、非常事態を示しているだけです。戦車が走り、検問所があり、警察官ばかりが目立つのは、政府が市民を管理し抑え込んでいる図です。本来、戦争で敵国に向けられるはずの戦車や銃口が今は市民全員に向けられている。それは予想ではなく現実、少し控えめに言えば、これから起きるだろう現実を極端に見せたのです」
国や自治体など当局が市民を支配下に置くという図は、何もコロナが…
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