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常夏通信

その79 戦没者遺骨の戦後史(25) 127万体収容は本当か? すべて日本人?

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日本人墓地で線香を手向ける抑留経験者=ロシア・ハバロフスク北方のフルムリで2008年8月、栗原俊雄撮影
日本人墓地で線香を手向ける抑留経験者=ロシア・ハバロフスク北方のフルムリで2008年8月、栗原俊雄撮影

 第二次世界大戦では、日本人だけで310万人が亡くなった(厚生労働省推計)。このうち、海外で亡くなったのは240万人。127万6000体分の遺骨を収容したと、厚労省は推計している(2020年11月現在)。一方で戦後76年となった今も、100万体の遺骨が行方不明だ。メディアはこの「まだ収容されていない遺骨」に注目しがちだ。一年中「8月ジャーナリズム」=戦争報道をしている常夏記者こと私は10年以上、戦没者遺骨の問題を取材している。「収容されていない遺骨」について「一体でも多くの遺骨を遺族のもとに返すべきだ」と考えて報道してきた。

 一方で、「すでに収容された遺骨」について大きな疑問を二つ持っていた。一つは「本当に127万体も収容したの?」ということであり、もう一つは「127万体を収容したとして、本当にみんな日本人なの?」という疑問である。

本当に127万体収容?

 私は2012年7月、第二次世界大戦の激戦地となった硫黄島で戦没者の遺骨収容団に参加した。文字通り数え切れないくらいの遺骨を掘り起こした。その経験から言えば、遺骨の収容数を正確にカウントすることは難しい。

 現場は集団埋葬地で、遺骨は折り重なるように埋まっていた。頭骨のすぐ脇に、太ももの骨があったり、どの部位か分からない骨があったりした。個別に埋葬されている場合はともかく、このような集団埋葬地(私が参加した現場は、埋葬というより米軍が日本軍兵士の遺体を重機などで無造作に埋めた可能性が高いが)では、遺骨の数え方は難しい。たとえば同じ現場で頭蓋骨(ずがいこつ)を1体と数え、右太ももを1体と数えたら。同一人物の遺骨を2体とカウントしてしまう可能性がある。だから、そうした場合は頭蓋骨、あるいは右のふとももの骨など1人一つしかない部位を決めて数えるのが基本だ。

 政府による遺骨収容事業が本格的に始まったのは、サンフランシスコ講和条約が発効し独立を回復した1952年。以来、政府の事業で収容したのは34万体である。他の94万体は、遺族や戦友らが収容したものだ。127万体全てが、このような識別の仕方で収容されたのだろうか。

 早くから遺骨収容に参加したある遺族は、私の取材に「左右の大腿(だいたい)骨の1対がある場合に1体と数えた」と話していた。そのように厳密にカウントしたケースもたくさんあるだろう。しかし、私自身がそうだが、遺骨収容に参加すると「一体でも多く日本に帰ってほしい」と思う。その気持ちが、実際より多くの遺骨をカウントしてしまうことにつながることもあったのでは、とも思う。そうだとすると、収容したのは127万体を下回ることになる。

外国人の骨を日本人と誤認

 また素人が、骨の形状を見て日本人かどうかを判断することは不可能だ。形質人類学、つまり人類学で学んだ専門家ならば可能かもしれない。あるいは、今日のDNA鑑定の技術によればそれも可能だろう。しかし、政府派遣の遺骨収容に人類学の専門家が同行するようになったのはごく近年のことだ。また日本で戦没者のDNA鑑定が始まったのは03年である。

 それ以前に収容された遺骨の中には、外国人の遺骨が含まれているのではないか。私は10年以上戦没者遺骨の収容問題を取材していて、そういう疑問を持っていた。たとえば日本軍と、米軍を中心とする連合国軍が接近して戦った場所、たとえば硫黄島や沖縄…

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