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あの感動の調べをもう一度。注目公演の模様を鑑賞の達人がライブ感たっぷりに再現します。

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コロナ禍の2020年末第9公演(後編)

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「ベートーヴェンは凄い…」より、篠崎史紀をコンマスとするオーケストラと聴き手から温かな拍手を受ける小林。コロナ禍に見舞われた2020年末、聴き手と弾き手の胸にさまざまな想いがこみ上げた (C) Michiko Yamamoto
「ベートーヴェンは凄い…」より、篠崎史紀をコンマスとするオーケストラと聴き手から温かな拍手を受ける小林。コロナ禍に見舞われた2020年末、聴き手と弾き手の胸にさまざまな想いがこみ上げた (C) Michiko Yamamoto

 コロナ禍に見舞われた2020年末、年末恒例のベートーヴェンの第9交響曲の公演を各オーケストラがいかにして実現させ、どのような演奏が行われたのかをデータを基に振り返る特集の後編。各公演を具体的に比較するための参考材料として昨年に引き続き演奏・公演データを付記、今年はさらに感染防止対策に関連する事項も追加した。なお、全ての公演で入場時には手指消毒と検温などが実施されていた。(宮嶋 極)

【ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団】

☆公演・演奏データ

聴衆の収容制限:なし

使用譜面:ベーレンライター版

繰り返し:第2楽章前半

弦楽器 :第1ヴァイオリン12 第2ヴァイオリン 12 ヴィオラ 8 チェロ 6  コントラバス 5

管楽器 :譜面の指定通り

演奏時間:64分

独唱  :ジャクリン・ワーグナー(S)中島 郁子(MS)笛田 博昭(T)リアン・リ(B)

合唱  :新国立劇場合唱団(女声20、男声20)

コンマス:水谷 晃

取材  :12月29日 サントリーホール

現代におけるベートーヴェン演奏のひとつの理想形を聴かせたノット(中央)と東響の公演 (C)T.TairadateTSO
現代におけるベートーヴェン演奏のひとつの理想形を聴かせたノット(中央)と東響の公演 (C)T.TairadateTSO

 一昨年、ピリオドの要素を取り入れた現代オーケストラによるベートーヴェン演奏の進化形ともいえる鮮烈な第9を聴かせてくれたジョナサン・ノットと東京交響楽団。昨年も12月28日と29日の2回、サントリーホールで公演を行った。海外からのソリスト4人の一部交代を余儀なくされたものの、ノットらは入国後2週間の経過観察を経て無事公演に臨んだ。

 作曲家在世当時の演奏法を最新の研究結果を参考にして取り入れながら現代感覚にあふれるベートーヴェン演奏を行うノットの手腕は目を見張るものがある。今回も〝進化形〟と感じた一昨年よりもさらに進んだ演奏に仕上げていた。それは一昨年の演奏所要時間が62分だったことに対して今回は64分と少し遅くなっていることにも表れている。

 弦楽器は第1ヴァイオリン12人を基軸とした編成。一昨年と変わらない数である。他のオーケストラの場合、ステージ上の密を回避するため編成を縮小している場合が多かったがノットと東響は元々のポリシーとしてこうした数でこの作品に取り組んでいる。

 テンポは、譜面に記されたメトロノーム数値にほぼ準拠。フレージングを細部にわたって見直して大きな旋律線を描き出すように音楽が形作られていくのだが、今回は主題と主題のつながる節目などで少しルバート(テンポを一瞬少し遅くすること)をかける場面が幾度かあった。一気呵成(いっきかせい)に音楽を進めるのではなく曲想の転換点を明確に区切る意図が感じられた。古典派音楽の構成美をスタイリッシュに表現していくノットの手法は現代オーケストラによるベートーヴェン演奏の理想の形のひとつのように思う。

 1点だけ欲を言えば、昨年も指摘したことではあるが、編成を小さくしてこれほどまでに徹底したスタイルに磨き上げているのだから、ティンパニはバロック式の小型の楽器を使ってほしかった。今回も現代楽器のペダル・ティンパニが使用されており、客席からは時に音量が大きすぎたり、響きが過剰に聴こえたりしたからだ。ベートーヴェン特有の激しさの表現や強烈なアクセントの必要性は理解できる。しかし、特に第1・2楽章においては他のパートと比べて著しく音量のバランスを欠いていた箇所が散見された。バロック・ティンパニならばこうはならないだろう。ノットの指示なのか、プレイヤーの判断なのか、全体の出来が素晴らしかっただけにこの点に関しては残念に感じた。ティンパニは第2の指揮者といわれることもあるが、全体に与える影響は小さくないからである。

 終演後、場内の照明が落とされて独唱者と合唱団がペンライトを振りながら「蛍の光」をアンコールし、会場が一体となってコロナ禍に翻弄(ほんろう)された2020年に別れを告げた。さらにオーケストラが退場しても喝采は鳴りやまずノットが2度もステージに呼び戻されるほどの盛り上がりをみせた。こうした熱い反応がこの日の演奏がいかに聴衆の心を動かすものであったかを表していた。

【ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏会】

☆公演・演奏データ

聴衆の収容制限:なし

使用譜面:ブライトコップフ版

繰り返し:なし

弦楽器 :第1ヴァイオリン14 第2ヴァイオリン12 ヴィオラ 10 チェロ 8 コントラバス7

管楽器 :フルート(ピッコロ持ち替えを含む)、オーボエ、クラリネット、ファゴット(コントラファゴット持ち替えを含む)、トランペットは倍管、ホルンにアシスタント1

演奏時間:70分

独唱  :市原 愛(S)山下 牧子(MS)錦織 健(T)青山 貴(Br)

合唱  :ベートーヴェン全交響曲連続演奏会特別合唱団(女声21、男声20)

備考  :独唱者、合唱団は全員マスク着用で歌唱

管弦楽 :岩城宏之メモリアル・オーケストラ

コンマス:篠崎 史紀

指揮  :小林 研一郎

お話  :三枝 成彰

取材  :12月31日 東京文化会館大ホール

ソリスト(左)や合唱団、近接するオーケストラのプレイヤーもマスクを着用し、感染予防策を徹底 (C) Michiko Yamamoto
ソリスト(左)や合唱団、近接するオーケストラのプレイヤーもマスクを着用し、感染予防策を徹底 (C) Michiko Yamamoto

 大みそか恒例のベートーヴェンの全交響曲の連続演奏会は今回で18回目、そのうち小林研一郎が13回指揮台に立った。演奏は篠崎史紀(N響第1コンマス)をはじめとするN響メンバーを主体に在京のオーケストラの腕利き団員やソリストによって編成される岩城宏之メモリアル・オーケストラ。例年合唱はアマチュアの武蔵野合唱団なのだが、今年は感染対策のためプロ声楽家によって特別編成された41人(プロデュースを担う作曲家の三枝成彰氏によると手違いで女声が1人多くなったという)。

 感染対策で驚いたのは独唱者、合唱団ともにマスクを装着したままで歌ったことである。独唱者4人は舞台下手、第1ヴァイオリンの後方に並び、プレイヤーとの間にアクリル板を設置した上にヴァイオリンの後ろから2~3プルト(列)の奏者も全員マスクを着けた。飛沫(ひまつ)飛散を最大限防ぐための措置である。それでも音量や表現に不足を感じることはなく、さすがプロ歌手と感心させられた。

 使用譜面は旧版(ブライトコップフ版)、弦楽器は14型。管楽器は倍管に近い形がとられたが、これは1番から8番まで交代で出演していたプレイヤーが第9ではほぼ全員演奏に参加したため。ヴィブラートは基本的に通常の対応だったが、昨年までに比べて長音にかけない箇所が増えた(特に前半)印象を受けた。筆者の座席(1階中央ブロックの前方、コンマスの動きがよく見える位置)からは篠崎コンマスがリーダーシップを発揮して、それらを主導しているようにも映った。小林の思いを実際の音や動きを通してメンバー全員に伝えていく篠崎の姿はコンサートマスターという仕事の重みを体現するものであった。

 第4楽章では合唱の人数が少ない分、小林は音量バランスの調整を綿密に行い、温かみのある美しいハーモニーを創出。そして毎回感じることであるが、小林が紡ぎ出す「歓喜の歌」は、演奏スタイルなどの理屈を超えて聴衆の心を大きく揺さぶるのに十分な力があった。コロナ禍に苦しめられた2020年の大みそかの深夜、小林の気迫と人間味を感じさせる響きは聴くものに力を与えてくれるものであった。

 終演後、鳴りやまない拍手にマイクを取った小林は「(演奏会の開催は)多分だめだと思っていたので、皆さまの顔を拝見して……」と涙で声を詰まらせ、「(感染拡大の困難な状況の中)素晴らしい演奏をしてくれた」とオーケストラのメンバーをたたえていた。

筆者プロフィル

 宮嶋 極(みやじま きわみ) 毎日新聞グループホールディングス取締役、番組・映像制作会社である毎日映画社の代表取締役社長を務める傍ら音楽ジャーナリストとして活動。「クラシックナビ」における取材・執筆に加えて音楽専門誌での連載や公演プログラムへの寄稿、音楽専門チャンネルでの解説等も行っている。

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