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この国に、女優・木内みどりがいた

 東京・永田町の国会前で「アベ政治を許さない」と書かれたプラカードを掲げる著名な女優がいた。2019年11月に急逝した木内みどりさん(享年69)。新型コロナウイルスの感染が拡大する中、芸能人の政治的、社会的発言は珍しくなくなったが、コロナ以前はそうではなかった。なぜ、彼女にはできたのか。彼女は一体、何者だったのか。

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この国に、女優・木内みどりがいた

<21>DON’T FORGET FUKUSHIMA

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木内みどりさんが経産省前テントひろばに設置した「DON’T FORGET FUKUSHIMA」の横断幕=2015年2月20日、真島辰也さん撮影
木内みどりさんが経産省前テントひろばに設置した「DON’T FORGET FUKUSHIMA」の横断幕=2015年2月20日、真島辰也さん撮影

 女優の木内みどりさんが「熱」を込めて実践していたことがある。それは、福島で起きていることを海外の人々に伝えることだった。脱原発集会などで英語のバナー(横断幕)を見かけたら、この運動を広げたパイオニアは木内さんと言っていいだろう。【企画編集室・沢田石洋史】

経産省前テントひろばで

 2019年11月に死去した木内さんの足跡をたどるこの連載で、何度も参照してきたのが、20年に出版された「またね。木内みどりの『発熱中!』」(岩波書店)だ。木内さんが14~18年、ウェブサイト「マガジン9」に書き続けたコラムを中心に構成している。これを読めば、いつ、どんな集会で司会をしてきたのか、その一端を知ることができる。例えば、こんな行動を取っている。以下、その要約だ。

 15年1月5日のこと。東京・霞が関の経済産業省前の広場で、脱原発グループが開いた集会に木内さんは司会者として参加した。ここには原発再稼働に反対する拠点としてテントが張られ、「経産省前テントひろば」(テントは16年8月に撤去)と呼ばれていた。ゲストがスピーチしている時、2階建ての観光バスに乗っている外国人が写真を撮っているのを見て、ふと振り返った木内さんは、彼らから見える光景に英語表記がないのに気付く。「FUKUSHIMA」などの表記があれば、彼らが母国に帰ってから写真を友人らに見せ、ここで行われていることを広めてくれるかもしれない――。そこで、木内さんが主催者側に提案すると、こう言われてしまう。

 「そう、英語のね、そうそうあったほうがいいですよねえ。でも手が足りないし、キウチさん、あなたがやってください」。そう言われて、木内さんは「うぐっ、うぐぐ」と相手の言葉をのみこみながら、「はい、わたしがつくります」と宣言する。

英語の横断幕

 木内さんは、木工作品や革細工などを手掛ける有限会社WORKSの社長で、旧知の真島辰也さん(66)にバナーの製作を依頼した。私が真島さんに取材すると、こんな経緯だった。

 真島さんは自称、木内さん宅の「用務員」。連載8回目に登場する共通の友人、高砂雅美さんの紹介で7~8年前から家の修繕を依頼されるようになった。タイルの外壁を高圧洗浄機できれいにしたり、さびた鉄のサッシにペンキを塗ったり、雨漏りする場所をモルタルでふさいだり。そんなある日、バナー製作の依頼があったという。真島さんは述懐する。

 「英語表記を提案して断られた、と。普通はそれっきりですよね。だけど、みどりさんは違う。直情径行で、思いついたらやり通す。空気は読まない。バナーの製作費は2万5000円から3万円程度だったと思います。みどりさんの自腹です。テントなどに使われるターポリンという薄い生地を使い、パイプのフレームで固定しました。サイズは縦80センチ、横3・6メートル。『DON’T FORGET FUKUSHIMA』のロゴは、私がデザインしたものをみどりさんと夫の水野誠一さんに見せて、何度か修正しながら決めました。白地に黒字と赤枠を使い、FORGETの『O』はレントゲン室などに使われるマークをアレンジして『放射性物質禁止』を表現し、外国の人たちに伝わりやすいようにデザインしました」

横断幕、ドイツに渡る

 この横断幕が経産省前テントひろばに掲げられたのが、提案から1カ月余りたった同年2月20日のことである。「またね。」には当日のことをこう記す。

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