イスラエルに遅れてやって来た「アラブの春」の成果 存在感増したイラン対抗で結束
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2011年に中東各地へ広がった民主化要求運動「アラブの春」から10年が経過した。この間、対立を続けてきたイスラエルとアラブ諸国は接近し、敵・味方の構図は一変している。イスラエルの目に「春」はどう映るのか。【エルサレム高橋宗男】
米国は現在、世界各地の駐留米軍を地域別に統合して指揮しているが、今年に入り、一つの再編があった。国防総省は1月15日、イスラエルをこれまでの「米欧州軍」の管轄から「米中央軍」に移すと発表。米中央軍は中東・中央アジアなどの駐留米軍を指揮統制し、現地の国々との調整にあたる。主要司令部は米南部フロリダ州にあるが、前線司令部はカタールに置く。1983年の設立当時は管轄下のアラブ諸国などがイスラエルを国家承認しておらず、共同作戦や軍事演習が不可能だったため、イスラエルは中東に位置しながらも「欧州」司令部に入っていた。
今回、中央軍に移った背景にあるのが、20年夏以降の緊張緩和だ。アラブ首長国連邦(UAE)やバーレーンなどが相次いでイスラエルとの国交正常化を決め、同省は「中東で共有されている脅威に対し、主要なパートナーをそろえる機会となった」と説明した。
この「脅威」とはイランを指す。その影響力増大の背景に「アラブの春」を挙げる専門家も少なくない。
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