中村魁春さん「本朝廿四孝」を語る お姫様を演じて60年超 三姫の魅力とは=完全版
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歌舞伎に、しばしば登場するのがお姫様だ。赤い衣装を着ることが多いので、「赤姫」とも総称される。だが姿は似ても思いはさまざま。おとなしく座っているだけの姫君から、恋のために命をかける姫君まで幅は広い。中でも大役とされるのが「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)(十種香(じゅしゅこう))」の八重垣(やえがき)姫、「祇園祭礼信仰記(金閣寺)」の雪姫、「鎌倉三代記」の時姫で、「三姫」と呼ばれる。
2月2~27日の東京・歌舞伎座「二月大歌舞伎」第1部で、中村魁春さんが「十種香」の八重垣姫をつとめる。魁春さんの祖父、五世中村歌右衛門(1866~1940)が得意とし、父の六世歌右衛門(1917~2001)にも受け継がれ、あたり役とした。
「今年は父の(没後)二十年祭。追善の思いでいたします」
絵姿に恋するいちずな姫
近松半二らの合作で明和3(1766)年に人形浄瑠璃で初演。戦国の世の武田信玄と長尾(上杉)謙信の争いに題材を取る。場所は謙信館。謙信の娘の八重垣姫は、信玄の子で婚約者の勝頼の死を知り、絵像に回向している。だが、死んだのはニセ者で本物は簑作(みのさく)と名乗り、花作りとして館に入り込んでいた。また、ニセ勝頼の妻、濡衣(ぬれぎぬ)も身分を隠し、同家に腰元奉公していた。
「会ったこともない勝頼に絵姿だけで恋するいちずな女性です」。魁春さんの初演は1998年。今回は2004年以来となる。
歌右衛門型では、冒頭で八重垣姫は床の間の絵像に回向をし、客席に背を向けている。芝居では珍しい登場の仕方だ。「いきなり後ろ姿。そこでもお姫様でなくてはなりませんが、気持ちが入っていれば、自然にそう見えると思います」
絵像とうり二つの簑作に心を奪われた八重垣姫は、濡衣に取り持ちを頼む。濡衣は、武田家の重宝で、今は謙信館にある兜(かぶと)を盗み出したなら応じようと姫に持ちかけ、簑作こそ勝頼と打ち明ける。
「積極的です。勝頼そっくりの簑作に一目ぼれする。勝頼でもない人を好きになって申し訳ないと竹本(浄瑠璃)に語らせます。ですが本物の勝頼だったわけで、簑作に対するのと、勝頼と確信したのとでは気持ちに変化がつかなければいけないと思います」
竹本に合わせ、姫はさまざまな姿を見せる。勝頼ではないと否定する簑作を柱に巻き付いたような形で見つめる「柱巻(はしらまき)」もそのひとつ。六世歌右衛門の柱巻姿は100円切手にもなった。
三姫の中でも八重垣姫は「筆頭にあげられるものであって(中略)やればやるほど手も足も出なくなっちゃいましてね」(『歌右衛門の六十年』中村歌右衛門、山川静夫著・岩波新書)と六世は述べている。
「その通り。せりふは少ないし、竹本に合わせた動きも難しい。父の映像を見ると相当テンポが遅いので、なるべく気持ちを出してだらつかないようにし、もう少し運びを早くしようと思います」
勝頼は市川門之助さん、謙信は中村錦之助さん、濡衣は片岡孝太郎さんがつとめる。
初舞台から3カ月目でお姫様を演じる
中村魁春さんの60年を超す俳優人生の中で、お姫様は大きな位置を占めている。1948年生まれ。兄の現・中村梅玉さんと共に、おじにあたる名女形、六世中村歌右衛門の養子となり、56年1月に加賀屋橋之助を名乗って初舞台を踏んだ。同年3月が「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな、重の井子別れ)」の調姫(しらべひめ)。初舞台から3カ月目にしてお姫様を演じた。主役の重の井は歌右衛門で、梅玉さんが、実は重の井の子である三吉を演じた。
「それで私は女形、兄は立ち役になりました。ひところは、ほとんど毎…
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筆者
小玉祥子
1985年入社。東京学芸部専門編集委員。現在の担当は演劇、古典芸能。著書に「芝翫芸模様」(集英社)、「二代目 聞き書き中村吉右衛門」(朝日文庫)など。