- Twitter
- Facebook
- はてなブックマーク
- メール
- リンク
- 印刷
「自粛」や「巣籠もり」ということばは嫌いだが、「家居(いえい)」といえばどこか安らぐ。今私たちは家居の中で、内省し深くものを考えはじめた気がする。今この世界的流行(パンデミック)から学ぶことがあるとすればそれは、私たちの文明の過度な成長とグローバル化への反省であり、人類もまたこの地球上に生きる一生物として他と共生しつつ、しかししっかりと生きていく覚悟やたくましさが必要だということだろう。
その点で「俳句α(アルファ)」(冬号)に連載の内山章子「いのちの食卓」と宇多喜代子「移りゆく日本の暮らし」は、「食」という生(せい)の原点に関わる話。とくに後者は歴史の語り部として、今日の災害時の「非常食」とはまるで意味が違う、主食の欠乏を何かで補って「命を繋(つな)いだ」「代用食」の日々の工夫の切なさと人々のたくましさについて語る。いま求められるのは、こうした生き抜く力なのだろう。
この記事は有料記事です。
残り253文字(全文643文字)