明石空襲、後世に伝え 文化博物館、市内初の常設資料室 写真や映像、戦跡地図も /兵庫

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明石空襲を証言や写真で伝える明石市平和資料室=兵庫県明石市の市立文化博物館で2021年1月19日午後0時35分、浜本年弘撮影
明石空襲を証言や写真で伝える明石市平和資料室=兵庫県明石市の市立文化博物館で2021年1月19日午後0時35分、浜本年弘撮影

 太平洋戦争末期にあった明石空襲の惨禍を伝える資料室が明石市上ノ丸2の市立文化博物館に開設された。空襲体験者や戦没者の遺族が不戦を訴える証言映像や、市内の慰霊碑の場所を示す地図も展示。体験者の高齢化から記憶と教訓の伝承が課題になっており、市内初の常設展示で、平和の尊さを伝える。【浜本年弘】

 明石空襲は1945年8月の終戦前、1~7月に6回あった。当時(44年)の市の人口は約8万1500人。空襲により死者は1496人、行方不明は64人で、被災者は5万6000人を超えた。

 県内初の本格的な空襲となった45年1月19日は、戦闘機を製造していた川崎航空機(現川崎重工業)の工場が標的になった。6月9日には明石公園に避難した学徒動員の学生ら644人が犠牲になり、7月7日は焼夷(しょうい)弾で中心部の6割が焼失したとされる。

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