共感呼んだ小兵の魂 大鵬に食らいつき 元横綱・栃ノ海死去

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元横綱・栃錦の春日野親方(当時)に土俵入りの指導を受ける栃ノ海(右)=1964年2月
元横綱・栃錦の春日野親方(当時)に土俵入りの指導を受ける栃ノ海(右)=1964年2月

 大相撲の元横綱・栃ノ海の花田茂広さんが29日、亡くなった。同時代の大横綱である大鵬、柏戸に比べ身長は約10センチ低く、体重も30~40キロ軽いながらも、柏鵬時代に割って入った負けじ魂で、多くの相撲ファンの共感を呼んだ。

 1955年秋場所で初土俵。入門時は栃木山、入幕後は栃錦と、春日野部屋の2人の元横綱に鍛えられた。また、同門の出羽海部屋が近くにあり、連日のように激しい連合稽古(げいこ)が行われた。兄弟子で後の大関・栃光、出羽海部屋の後の横綱・佐田の山と3人でぶつかり合った稽古は、「幕内時も毎日最低50番はこなした。土俵の中ではけんか腰だった」という。激しい出世争いも土俵での粘りにつながった。

 部屋頭としての自負と、たぎる闘争心が番付を上げる力になった。花田さんはかつて、こう言った。「栃錦さんには『小さい者は一秒でも止まったらダメ』と言われた。勝つためならいなしもしたし、変化もした。かっこいいと言われるより、勝たねばならなかった」。ハズ押しで起こしてから中に入っての食い下がりのしぶとい相撲を確立。関脇だった62年夏場所で14勝して初優勝し、大関に昇進した。63年九州場所では14勝を挙げ…

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