傷だらけの心に勇気をくれた 名も知らぬおじさんへ、感謝を込めた絵本

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柳川さんと井門さんが共同製作した絵本「ふるさとの交差点」。おじさんとのふれあいが優しい絵で描かれている 拡大
柳川さんと井門さんが共同製作した絵本「ふるさとの交差点」。おじさんとのふれあいが優しい絵で描かれている

 勇気をくれた名も知らないおじさんに、感謝の気持ちを伝えたい――。プロの演奏家になる夢をあきらめ、心も傷だらけになった女性が、山形へ向かう新幹線で偶然隣り合わせになった男性に励まされ、前向きに生きる決意をした。女性はおじさんに感謝を伝えようと、この体験を基に、知人の絵本作家と共同で絵本を製作した。その物語とは。【藤村元大】

 <それは不思議な出会いでした。 久々の演奏会の仕事で 遠くの街へ向かう列車の中 『よかったら コーヒー もらってくれないかなぁ』。 その優しい声を 私は一生忘れないでしょう>

 物語はこんな書き出しで始まる。主人公は、東京都在住の柳川侑那(ゆな)さん(28)。それは、2017年10月17日の夜のことだった。

 音楽家を目指して千葉県銚子市から上京したが、現実は厳しかった。打楽器奏者としてフリーで音楽活動をしていたが、プロになる夢も、自分さえも見失い、心は傷だらけだった。そんな時、山形交響楽団のコンサートに参加するため、東京発山形行きの山形新幹線に上野駅から乗車した。

完成した絵本を手にする柳川侑那さん=本人提供 拡大
完成した絵本を手にする柳川侑那さん=本人提供

 隣に座ったのは、ジャケットを羽織り、落ち着いた雰囲気のおじさんだった。東北なまりのアクセントで、優しそうな笑顔。コーヒーを1杯注文したが、手違いで2杯届いてしまったといい、1杯をこちらに差し出した。受け取ると、にっこりほほ笑んでくれた、と優しい絵で描かれている。

 「今、あなたは何をしているの?」。おじさんの問いに、柳川さんは、真っ暗な景色が広がる夜の車窓を眺めることしかできなかった。言葉に詰まりながらも、「一応、ミュージシャン」と小さな声で答えた。

 <すごいねぇ! 音楽で人を元気にできるなんて 素晴らしい仕事だねぇ!>

 笑顔の前に、柳川さんは隠し事をしてはいけない気がして、自分のことを包み隠さず話し始めた。5歳のころにピアノを習い始め、国立音楽大学演奏科打楽器専修を首席で卒業した。卒業後は、フリーの打楽器奏者として、オーケストラや、幼児音楽教室を中心に活動した。しかし、活躍する仲間の姿を見るたびに焦り、いつしか、音楽家としての理想の姿を忘れかけている自分に戸惑いを抱いていた。

 おじさんは目をそらさず、真剣に耳を傾け、そして優しく励ましてくれた。

絵本作家の井門典子さん=本人提供 拡大
絵本作家の井門典子さん=本人提供

 <自分らしさを手放さず、強く持ち続けなさい。優しさと強さを持ち合わせた時、きっと凜(りん)とした人になれるから>

 柳川さんは現在、大学図書館に勤務する傍ら、音楽を演奏しながら絵本の朗読をする「奏でる絵本」というグループに所属する。「自暴自棄だった自分が今、理想の音楽に向けて歩めている。人と出会い、応援してもらえることで人は変わる」と話す。

 おじさんのことは、名字が「鈴木」で、山形県大江町左沢(あてらざわ)に縁があるということしか分からない。この話を知り合いの絵本作家、井門典子さん(62)に相談し、約1年かけて今年1月、32ページの絵本「ふるさとの交差点」を完成させた。出版元の「ニコモ」が運営する絵本通販サイト「YOMO」などから購入できる。

 絵本はこう結ばれている。

 <お元気ですか? おじさんとの出会いは 私の人生の分岐点になりました。おじさんに いつか もう一度お目にかかりたいです>

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