秀吉建立の方広寺 創建時の大仏殿囲む築地塀跡見つかる 京都

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ほぞ穴が残る2基の礎石。方広寺の築地塀の柱が据えられていたと考えられる。後方右側は京都国立博物館の明治古都館=京都市東山区で2021年2月10日午後2時11分、南陽子撮影
ほぞ穴が残る2基の礎石。方広寺の築地塀の柱が据えられていたと考えられる。後方右側は京都国立博物館の明治古都館=京都市東山区で2021年2月10日午後2時11分、南陽子撮影

 京都市埋蔵文化財研究所は10日、豊臣秀吉が桃山時代に建立した方広寺(ほうこうじ)(同市東山区)の旧境内で、創建時の築地(ついじ)塀の礎石を見つけたと発表した。築地塀は1596年の慶長伏見地震で倒壊し、秀吉の死後に子の秀頼が回廊に造り替えた。秀頼時代の回廊跡は1990年代からの発掘で確認されていたが、文書や絵図のみで知られていた創建時の姿が今回の調査で裏付けられた。

 礎石は2020年9月に始まった、京都国立博物館(京博)・明治古都館の免震工事に伴う調査で見つかった。方広寺は南北約250メートル、東西約200メートルの境内に建てられた。秀吉時代には、奈良・東大寺大仏殿を上回る南北約88メートル、東西約54メートル、高さ約48メートルの大仏殿を築地塀が囲んでいた。大仏殿は1602年に焼失し、秀頼により1614年に再建されたが、方広寺の釣り鐘に刻まれた銘をきっかけ…

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