渋沢栄一を歩く

/3 藍農家の「番付表」 経済の創意工夫を経験 /東京

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 前回、藍染めの原料「藍玉」生産で栄えた「中の家(なかんち)」を年商1万両と紹介した。具体的に裏付ける帳簿などが残されているわけではない。渋沢史料館(東京都北区)の井上潤館長は、年商1万両と推計した根拠について、著書の中でおおむね次のように説明している。

 中の家と信州の紺屋(こうや)(染物業者)4軒との取引帳簿である「藍玉通(かよい)」が1852~72年の約20年間分残されている。取引先と年により開きはあるが、売り上げの最高額が585両、最少額が5両2分であり、単純に平均すると1軒で1年に約100両の取引があったと推計できる。主な取引先だった信州・上田など小県(ちいさがた)地方の紺屋だけでも、中の家は約50軒と取引があったことが分かっていて、ほかと合わせて計100軒と取引があったと仮定すると、年に1万両以上の売り上げがあったことになる。

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