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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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廣島からヒロシマへ

3人の表現者・前編 四国五郎 反戦に生きた画家

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広島市街地を西(写真下)から東の方向へ見る。中央は広島城天守を取り囲むように軍施設が集まる。写真上を左から右に流れるのが京橋川。毎日新聞のデータベースでは1934年撮影とあるが、広島市文化財団広島城の資料では1934年年撮影となっている
広島市街地を西(写真下)から東の方向へ見る。中央は広島城天守を取り囲むように軍施設が集まる。写真上を左から右に流れるのが京橋川。毎日新聞のデータベースでは1934年撮影とあるが、広島市文化財団広島城の資料では1934年年撮影となっている

 76年前、米軍が投下した1発の原子爆弾で壊滅した広島は、広島城郭に置かれた広大な軍用地を取り囲むように、城下町時代から続く街並みが広がっていた。毎日新聞が所蔵する昭和初期撮影の航空写真などを基に、ヒロシマの継承に尽くした3人の表現者について伝える。【宇城昇】

弟の被爆死、創作の原点に

 1948年11月9日深夜、後に絵本「おこりじぞう」などで有名になる画家の四国五郎(24~2014年)は3年間のシベリア抑留から郷里・広島の自宅に戻った。戦地に赴く前、帰国したら「一緒に絵を描こう」と約束した弟直登の被爆死を知る。

 負傷した直登は3週間後に亡くなる間際まで、克明な日記をつけていた。母は日記を前に泣いて死を伝えたという。四国は弟が死の床でつけた日記を読みふけった。そして自身の日記に記した。

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【広島・長崎原爆】

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