連載

渋沢栄一を歩く

「日本資本主義の父」と呼ばれ渋沢栄一の生涯を、生まれ故郷・埼玉県深谷市を中心とした取材からたどります。

連載一覧

渋沢栄一を歩く

/6 岡部陣屋 500両、生涯忘れ難い屈辱 /埼玉

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
高島秋帆幽囚の地の石碑=埼玉県深谷市岡部で2020年10月28日、中山信撮影
高島秋帆幽囚の地の石碑=埼玉県深谷市岡部で2020年10月28日、中山信撮影

 論語を学び、10代半ばにして深い教養を身につけた渋沢栄一は1856(安政3)年、生涯忘れ難い屈辱を経験する。満16歳のことだった。

     ◇

 栄一の故郷、血洗島村やその周辺を治めた領主は、江戸時代を通して岡部藩の安部(あんべ)氏だった。歴代藩主の菩提(ぼだい)寺「源勝(げんしょう)院」(曹洞宗)=深谷市岡部=境内の解説板によると、安部氏は「信州(長野県)諏訪の出で、駿河国(静岡県)安部川の上流、安部谷に移り住み、元真(もとざね)の時はじめて安部氏を名乗った。元真は、はじめ今川義元に仕えたが、後に徳川家康に仕え、甲斐の武田信玄、勝頼父子と戦い、おおいに戦功をあげた」という。

 深谷上杉・郷土史研究会編「深谷市の史跡案内」などによると、岡部藩は1590(天正18)年、徳川家康の関東入国に際して譜代の家臣・安部信勝が拝領した5250石余に始まる。所領は三河国(愛知県東部)、摂津国(大阪府・兵庫県の一部)などに分散して加増され、石高計2万石余の大名となった安部氏は、武蔵国岡部(現深谷市岡部)に築いた岡部陣屋を本拠に、三河や摂津を分割統治して幕末まで残った。

この記事は有料記事です。

残り1208文字(全文1690文字)

あわせて読みたい

マイページでフォローする

この記事の特集・連載
すべて見る

ニュース特集