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被爆ピアノ資料館建設へ 「平和学習に」広島の男性調律師の願い

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被爆したピアノの前で資料館の建設について語る矢川光則さん=広島市安佐南区で2021年2月3日午後2時24分、山本尚美撮影 拡大
被爆したピアノの前で資料館の建設について語る矢川光則さん=広島市安佐南区で2021年2月3日午後2時24分、山本尚美撮影

 広島で原爆に遭った「被爆ピアノ」を修復し、各地のコンサート会場に送り届けている調律師の矢川光則さん(68)=広島市安佐南区=が、寄贈された6台などを展示する資料館の建設を進めている。平和学習に利用してもらう考えで、矢川さんは「年齢を重ねて活動ができなくなる前に資料館を建て、子どもたちがいつでもピアノに触れられるようにしておきたい」と話している。

 資料館は6月のオープンを目指し、安佐南区で営むピアノ工房の敷地内に私費など千数百万円をかけて建設中。ピアノ修復時に内部から出てきたガラス片や古びた楽譜など、ピアノとともに寄贈された被爆前後を伝える資料も公開し、平和学習での利用を念頭に解説映像を流す大型スクリーンを設置する。被爆ピアノのほか名古屋など他の場所で空襲を受けた4台も展示し、自由に触れられるようにする。

 中古ピアノを修復し、福祉施設に寄贈する活動も続ける矢川さんは、父正行さん(1997年に78歳で死去)が原爆に遭った被爆2世。ただ生前の父は被爆体験をほとんど語らず、平和活動に関心はなかったという。

 だが98年、被爆者団体を通じて1台のピアノが持ち込まれた。爆心地から南約3キロの民家にあったヤマハ製で、爆風で壁にたたきつけられた跡があった。関係者から被害や保存の状況を聞き、ピアノを巡る人々の思いに揺り動かされた。なるべく部品を変えずに修復して2001年の原爆の日にコンサートを開くと大きな反響があり、被爆前の音色を響かせるとともにピアノの由来を伝えることが自分の使命と感じた。

 それ以降、国内では自ら4トントラックのハンドルを握り、20年間で国内外2500以上の演奏会の会場に送り届けた。活動はメディアなどを通じて全国に広がり、託された被爆ピアノは計6台に。17年にはノルウェーに空輸し、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のノーベル平和賞受賞を記念するコンサートでも演奏された。

 資料館は、平和学習での利用を強く意識した。核被害の重さを知ってもらう活動のさなかには、ある学校の教諭に「ピアノから出る放射能が心配だ。コンサートを中止したい」と言われたことがある。誤った認識を改めてもらうため自ら講演することもあったが、各地を巡回するため、時に1カ月を超えるトラックの旅がこたえるようになった。

 矢川さんは「被爆ピアノは音は出すが、考えを押しつけない。自分が運べなくなっても、資料館に足を運んだ子どもたちにその音色から何かを感じ取ってもらいたい」と話す。建設に向け、地域住民や全国の賛同者からも少しずつ寄付が集まっている。被爆ピアノの優しい音色が平和の種をまき、やがて大樹となる日が来ることを願っている。【山本尚美】

【核兵器禁止条約】

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