連載

先月のピカイチ 来月のイチオシ

毎月数多くの公演に足を運び耳を傾けている鑑賞の達人が、1カ月で最も印象に残った演奏と、これから1カ月で聴き逃せないプログラムを紹介します。

連載一覧

先月のピカイチ 来月のイチオシ

思い出に残るワーグナー「ニーベルングの指環」(前編)

  • はてなブックマーク
  • メール
  • 印刷
ハリー・クプファーの演出によるベルリン州立歌劇場日本公演「ワルキューレ」=1997年11月、NHKホール 写真提供:(公財)日本舞台芸術振興会/長谷川清徳
ハリー・クプファーの演出によるベルリン州立歌劇場日本公演「ワルキューレ」=1997年11月、NHKホール 写真提供:(公財)日本舞台芸術振興会/長谷川清徳

 緊急事態宣言の延長と海外からの入国制限の厳格化などによって音楽業界は再び困難に直面している。既にプログラムや出演者の変更、開催自体の中止を余儀なくされた公演が相次いでいる。そこで今月の当連載も特別企画としてワーグナーの大作「ニーベルングの指環(リング)」全4作それぞれのベスト公演、思い出に残るステージを選者の皆さんに紹介していただきました。まずは前編、筆者お三方によるよりすぐりの公演から。

◆東条碩夫(音楽評論家)選◆

■「ラインの黄金」

エッセン・オペラ(2010年6月10日 エッセン・アールト劇場)

シュテファン・ショルテス指揮/ティルマン・クナーベ演出/トマズ・コニエチュニー(アルベリヒ)他

【次点】

ヴィースバーデン・オペラ(2003年7月5日 ヘッセン州立ヴィースバーデン劇場)

上岡敏之指揮/ジョン・デュー演出

■「ワルキューレ」

大阪国際フェスティバル1967・バイロイト来日公演(1967年4月11日 フェスティバルホール)

トマス・シッパース指揮NHK交響楽団/ヴィーラント・ワーグナー演出/テオ・アダム(ヴォータン)/アニア・シリア(ブリュンヒルデ)他

1967年に開催された大阪国際フェスティバル、バイロイト来日公演のプログラム冊子=筆者提供 拡大
1967年に開催された大阪国際フェスティバル、バイロイト来日公演のプログラム冊子=筆者提供

【次点】

バイロイト音楽祭(2001年8月22日 バイロイト祝祭劇場)

アダム・フィッシャー指揮/ユルゲン・フリム演出/アラン・タイトゥス(ヴォータン)/ルアナ・デヴォル(ブリュンヒルデ)他

■「ジークフリート」

バイロイト音楽祭(1988年8月26日 バイロイト祝祭劇場)

ダニエル・バレンボイム指揮/ハリー・クプファー演出/デボラ・ポラスキ(ブリュンヒルデ)/ジークフリート・イェルザレム(ジークフリート)他

                   

【次点】

バイロイト音楽祭(2009年8月23日 バイロイト祝祭劇場)

クリスティアン・ティーレマン指揮/タンクレート・ドルスト演出/アルベルト・ドーメン(ヴォータン)/クリスティアン・フランツ(ジークフリート)他

毎夏、世界中からワグネリアンが集うバイロイト祝祭劇場
毎夏、世界中からワグネリアンが集うバイロイト祝祭劇場

■「神々の黄昏」

バイロイト音楽祭(1988年8月28日 バイロイト祝祭劇場)

ダニエル・バレンボイム指揮/ハリー・クプファー演出/デボラ・ポラスキ(ブリュンヒルデ)/ ライナー・ゴールドベルク(ジークフリート)他

                   

【次点】

バイロイト音楽祭(2001年8月26日 バイロイト祝祭劇場)

アダム・フィッシャー指揮/ユルゲン・フリム演出/ルアナ・デヴォル(ブリュンヒルデ)/ジョン・トムリンソン(ハーゲン)他

 「ラインの黄金」は、他の3曲に比べ音楽とストーリーに滔々(とうとう)たる流れを欠くために、ある程度奇抜な演出の方がサマになって面白い。エッセンのクナーベ演出は、神々・巨人・ラインの乙女・ニーベルハイムの四つの世界が舞台上に分かれて設定され、各々の場所で最初から最後まで演技が行われる仕組み。従って巨人の国に連れて行かれたフライアが体験していることとか、ヴォータンに身ぐるみはがれたアルベリヒ(コニェチュニーがうまい!)が尾羽打ち枯らしてニーベルハイムに戻り、弟のミーメから馬鹿にされている光景などが全て描かれるというわけで、ドラマをあらゆる側面から観(み)られるという面白さがあった。ショルテスの超快速テンポ(2時間15分弱)も痛快そのものである。一方、ヘッセンのデュー演出は、何かの工場(小型発電所か?)の建築をめぐるトラブルをコミカルに描く設定で、登場人物たちの芝居の細かくてうまいこと! 演劇としても楽しめたが、当時ヘッセン州立管弦楽団のシェフだった上岡敏之の緻密な指揮も見事なものだった。

 「ワルキューレ」での私の最高の体験は、何をおいても大阪で観た伝説的なヴィーラント・ワーグナーの舞台である。「死の告知」の場面で底知れぬ暗黒の中から少しずつ現われてくるブリュンヒルデの姿、「騎行」のシーンで大スクリーンに渦巻く黒雲を背に身体を揺らせつつ歌うワルキューレたち、全曲大詰めでヴォータンの背後のスクリーンにゆっくりと半円形に広がってゆく巨大な炎——今日の慌ただしい演出からは到底得られぬ壮大な感動だったと言って過言ではない。次点にはバイロイトのフリム演出を挙げるが、これは演技の理詰めの細かさ(ジークムントがたおれる場での父ヴォータンとの絶妙な絡みなど)と、当日の舞台と演奏とのバランスの良さから採ることにした。

 「ジークフリート」と「神々の黄昏」も、結局バイロイト上演から採ることになる。クプファー演出は、バイロイトにおけるおそらく「最後の壮大な演出による『指環』」ではなかろうかと思う。巨大な暗黒の不気味さ、論理的なドラマトゥルギー、あふれる人間味など、一分の隙(すき)もない舞台だった。DVDでも出ているが、私の観たプレミエ時の演出とは多少の違いがある。またドルスト演出は、プレミエ時に観た時には正直つまらないと思ったが、再演を観て、神話の世界と現代人の世界との交錯が「ジークフリート」では巧みに描かれているなと考え直した次第だ。それにそのプロダクションでは、ティーレマンの指揮が卓越していた。そして「神々の黄昏」でのフリム演出は、似たような出来事が繰り返される「輪廻(りんね)」的思想を取り入れた面白さと、若者による新しい世界の到来を求めた幕切れの良さで選ぶ。

      *   *   *

◆柴田克彦(音楽ライター)選◆

■「ラインの黄金」

ザルツブルク・イースター音楽祭 in Japan(2016年11月18日 サントリーホール)

クリスティアン・ティーレマン指揮シュターツカペレ・ドレスデン/ドニ・クリエフ(舞台統括)/ミヒャエル・フォレ(ヴォータン)/藤村実穂子(フリッカ)/アルベルト・ドーメン(アルベリヒ)他

サントリーホールで行われたザルツブルク・イースター音楽祭の日本公演「ラインの黄金」=2016年11月18日 (C)Mattihas Creutziger
サントリーホールで行われたザルツブルク・イースター音楽祭の日本公演「ラインの黄金」=2016年11月18日 (C)Mattihas Creutziger

【次点】

日本フィルハーモニー交響楽団第690回東京定期演奏会 ※演奏会形式(2017年5月26日 東京文化会館)

ピエタリ・インキネン指揮/ユッカ・ラジライネン(ヴォータン)/リリ・パーシキヴィ(フリッカ)/安藤赴美子(フライア)/ワーウィック・ファイフェ(アルベリヒ)/与儀巧(ミーメ)/西村悟(ローゲ)他

         

■「ワルキューレ」

ウィーン国立歌劇場日本公演(2016年11月9日 東京文化会館)

アダム・フィッシャー指揮/スヴェン=エリック・ベヒトルフ演出/クリストファー・ヴェントリス(ジークムント)/ペトラ・ラング(ジークリンデ)/アイン・アンガー(フンディング)/トマズ・コニエチュニー(ヴォータン)/ニーナ・シュテンメ(ブリュンヒルデ)/ミヒャエラ・シュースター(フリッカ)他

         

【次点】

新国立劇場(2016年10月18日 新国立劇場オペラパレス)

飯守泰次郎指揮東京フィルハーモニー交響楽団/ゲッツ・フリードリヒ演出/ステファン・グールド(ジークムント)/ジョゼフィーネ・ウェーバー(ジークリンデ)/アルベルト・ペーゼンドルファー(フンディング)/グリア・グリムスレイ(ヴォータン)/イレーネ・テオリン(ブリュンヒルデ)/エレナ・ツィトコーワ(フリッカ)他 

■「ジークフリート」

ベルリン州立歌劇場日本公演(2002年2月10日 NHKホール)

ダニエル・バレンボイム指揮/ハリー・クブファー演出/クリスティアン・フランツ(ジークフリート)/グレアム・クラーク(ミーメ)/ファルク・シュトルックマン(さすらい人)/ギュンター・フォン・カンネン(アルベリヒ)/デボラ・ポラスキ(ブリュンヒルデ)他

■「神々の黄昏」

ウィーン国立歌劇場(2008年12月19日 ウィーン国立歌劇場)

フランツ・ウェルザー=メスト指揮/スヴェン=エリック・ベヒトルフ演出/クリスティアン・フランツ(ジークフリート)/エーファ・ヨハンソン(ブリュンヒルデ)/エリック・ハーフヴァーソン(ハーゲンなど)/藤村実穂子(ヴァルトラウテ)他

ウィーン国立歌劇場。10月には来日公演も予定されている
ウィーン国立歌劇場。10月には来日公演も予定されている

 「ラインの黄金」は、これ1作に全力が注がれた単独のコンサート上演を二つ挙げた。ティーレマン&シュターツカペレ・ドレスデンは、指揮者、オーケストラと豪華歌手陣の力が最高水準で結集された高密度の凄演(せいえん)。「ラインの黄金」の音楽自体の魅力を再発見させられた。インキネン&日本フィルも音楽的な魅力が衒(てら)いなく表現された好演で、これもまた忘れ難い。

 「ワルキューレ」も、個人的には余計な演出に邪魔されたくない作品。その点で、飾り気のない演出だったウィーン国立歌劇場来日公演の濃密な演奏には純粋に感動させられた。何しろオーケストラの音が圧倒的。シュテンメのブリュンヒルデも素晴らしかった。その直前の新国立劇場の公演は強力歌手陣のすごみと飯守&東京フィルの健闘が印象的で、「ワルキューレ」といえば同時期の二つをセットで思い出す。

 バレンボイム&ベルリン州立歌劇場の「リング」は、4夜通しの上演としては個人的なベスト。中でも「ジークフリート」の快演は、「ワルキューレ」と「神々の黄昏」に挟まれた〝長尺間奏曲〟のようなこの作品が、単独でも感銘深いことに気付かせてくれた。ウィーン国立歌劇場の「神々の黄昏」は、本欄2020年7月の海外公演ベストに記した通り。ウェルザー=メストの精緻で引き締まった造作による〝さりげなくも圧倒的なワーグナー〟は、長さをまるで感じさせることがなく、ヴァルトラウテ役の藤村実穂子の見事な歌唱も印象的だった。

       *   *   *

◆池田卓夫(音楽ジャーナリスト)選◆

■「ラインの黄金」

ザルツブルク・イースター音楽祭 in Japan(2016年11月18日 サントリーホール)

クリスティアン・ティーレマン指揮シュターツカペレ・ドレスデン/ドニ・クリエフ(ステージング)他

【次点】

新国立劇場トーキョー・リング(2001年3月30日 大劇場=現オペラパレス)

準・メルクル指揮東京フィルハーモニー交響楽団/キース・ウォーナー演出

■「ワルキューレ」

ベルリン州立歌劇場日本公演(1997年11月9日 NHKホール)

ダニエル・バレンボイム指揮/ハリー・クプファー演出

ハリー・クプファーが演出を手がけた1997年のベルリン州立歌劇場日本公演「ワルキューレ」 写真提供:(公財)日本舞台芸術振興会/長谷川清徳
ハリー・クプファーが演出を手がけた1997年のベルリン州立歌劇場日本公演「ワルキューレ」 写真提供:(公財)日本舞台芸術振興会/長谷川清徳

【次点】

ベルリン州立歌劇場日本公演(2002年1月30日 NHKホール)

ダニエル・バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリン

■「ジークフリート」

ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団特別演奏会(1988年11月20日 ケルン・フィルハーモニー)※演奏会形式

マレク・ヤノフスキ指揮

【次点】

バイロイト音楽祭(1989年8月13日 バイロイト祝祭劇場)

ダニエル・バレンボイム指揮/ハリー・クプファー演出

■「神々の黄昏」

メトロポリタン歌劇場「リング2019」(2019年4月27日 メトロポリタン歌劇場)

フィリップ・ジョルダン指揮/ロベール・ルパージュ演出

【次点】

新国立劇場(2017年10月1日 オペラパレス)

飯守泰次郎指揮読売日本交響楽団/ゲッツ・フリードリヒ演出

【次点】

びわ湖ホールプロデュースオペラ(2020年3月8日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール)

沼尻竜典指揮京都市交響楽団/ミヒャエル・ハンぺ演出

無観客のライブ配信で世間の耳目を集めたびわ湖ホールの「神々の黄昏」より、ブリュンヒルデを演じた池田香織 提供:びわ湖ホール
無観客のライブ配信で世間の耳目を集めたびわ湖ホールの「神々の黄昏」より、ブリュンヒルデを演じた池田香織 提供:びわ湖ホール

 かなり長い間、「ローエングリン」以外のワーグナーが苦手だった。ヴェルディやプッチーニ、モーツァルトのオペラには高校時代から親しんできたのに、本格的なワーグナー体験は1988年、旧西ドイツへ転勤して以降に始まった。1987年、フリードリヒ率いるベルリン・ドイツ・オペラの「リング」通し上演日本初演時は忙しく、西ドイツ大使館のレセプションに顔を出しただけだった。

 国際放送局ドイッチェ・ヴェレの音楽記者で後に私の師匠となる岸浩さんに導かれてヤノフスキ指揮ギュルツェニヒ管(ケルン歌劇場のオーケストラ)の演奏会形式上演(「ラインの黄金」だけは赴任前に終わっていた)に通い、知人が行けなくなった1989年バイロイトの「ジークフリート」に駆けつけたあたりから、私の「リング熱」は急激に上昇していった。当時は今より重厚なワーグナー・サウンドを聴けたように思う。ジークフリートを担うヘルデン(英雄的)テノールもウィリアム・ジョーンズ(88年ケルン・フィルハーモニー)やライナー・ゴルトベルク(89年バイロイト)からポール・エルミング(97年ベルリン州立歌劇場)、アンドレアス・シャーガー(2019年メトロポリタン歌劇場)まで、ずいぶん軽くてスマートな声と姿に変貌していった。

 私の脳裏に時代を超えた至上のブリュンヒルデとして刻み込まれているのは、デボラ・ポラスキである。クプファー&バレンボイムの2度にわたるNHKホールでの「ワルキューレ」(1997年は単独、2002年は通し上演)をはさみ、2000年11~12月のクラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団日本ツアーに参加、東京文化会館での「トリスタンとイゾルデ」全曲上演のイゾルデも含め、ポラスキの深く突き詰め、きよらかな祈りに満ちた演唱は永遠の価値を持つ。アメリカ出身、歌手人生に疑問を感じて一時は修道院に入ったという異色のキャリアの持ち主。97年の上演には当時の皇太子殿下(現在の天皇陛下)が臨席され、最初は退屈そうに座っていたSP(要人警護の警察官)が大詰め、ブリュンヒルデとヴォータンの切々とした二重唱の場面にハンカチで涙を拭う姿を今も覚えている。次いでは国外歌劇場の引っ越し公演から新国立劇場、「東京・春」音楽祭など日本国内のプロダクションに至るまで長く活躍したドイツ人メゾソプラノ、ヴァルトラウト・マイヤー(ケルンでも出ていた)が私にとって、永遠のワーグナー・ヒロインといえる。単発では1999年3月29日、小澤征爾指揮新日本フィルハーモニー交響楽団特別演奏会で「ブリュンヒルデの自己犠牲」を共演したヒルデガルト・ベーレンス、孤高の絶唱が忘れられない。

 2001年の「TOKYO RING」、「ラインの黄金」のフリッカ役で鮮烈な母国デビューを飾った藤村実穂子(メソゾプラノ)以降、日本人でも世界に通用するワーグナー歌手が現れたのが、この期間の新しい展開だろう。コロナ禍のなか、無観客上演のネット配信で驚異的な成果を収めたびわ湖ホール「神々の黄昏」の2日目ブリュンヒルデ、池田香織にも大きな期待をかけている。

(後編)はこちら

あわせて読みたい

注目の特集